コラム

膨大な悲劇を前にして「こころの問題」は比較も非難もできないのでは?

2011年03月25日(金)12時29分

 この夏の東京湾大華火祭が中止となりました。このニュースを聞いた瞬間に、多くのネット上での世論同様に、私も自粛ムードが過剰という印象を持ちました。考えてみれば、この時期の花火大会というのは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という伝統行事に重なってきます。今回の大震災で犠牲になった人々の「新盆」になるわけです。ですから、膨大な犠牲者の霊が道に迷わないようにという「盆の迎え火、送り火」の行事、あるいは精霊流しなどと同様に、夏の夜の闇に抗する花火の明滅を止めてしまうのには抵抗感がある、そんなことも思いました。

 あるいは、今回の震災で様々な形で家族が離れ離れになっているのであれば、せめてこの夏の夜の花火の頃を目処に再び家族が合流できればなどということも思ったのです。ですが、23日に配達されてきた、『ニューヨーク・タイムス』の一面トップに掲載されていた深田志穂氏の写真を見てこころが揺れました。それは被災地の小学校で行われた卒業式の写真で、列席した小学生の少年が毅然と前を向きながら涙を流している写真でした。

 この深田氏の作品をはじめ、この新聞はネットを含めて被災地のデイリーの人間ドラマを陰翳の濃い写真で伝えています。これも深田氏の作品ですが、亡くなった方を自衛隊の人々が簡素な土葬にしてゆくような写真もありました。棺に手向けられた花に土をかける際の自衛隊員の方の躊躇までが切り取られアメリカまで届いてしまう、写真というのは恐ろしいものだと改めて知らされました。

 そうした一連の写真を見て、私の気持ちは変わりました。当初大華火の予定されていた8月13日の土曜日には、新盆を迎えた被災地は改めて濃い悲しみに包まれるに違いありません。であるならば、その同じ夜の時間に、東京が静かな闇に包まれているというのも、そちらが自然なのかもしれない、そんな思いです。

 ここまで書いていて思うのですが、これは私の全く個人の感想であって、こうした「こころの問題」には大きな幅があるのだと思います。東京湾大華火の中止について色々な意見があるだけでなく、死亡確認のされていない多くの不明者がいる現時点で新盆の話をすること自体が不謹慎だという立場もあり得るでしょう。また、アメリカの新聞が生々しい写真特集をウェブで公開していることに違和感を持つ方もあると思います。

 こうした「こころの問題」には実に大きな広がりがあります。日本が価値観の多様化した社会であることも大きな要素であり、ネットを使った世論の拡散スピードがそれに拍車をかけています。また、地震・津波と原発事故という災害の多重性や、現地の感覚と東京の感覚、西日本の感覚、そして海外の感覚という距離の問題もあります。距離が離れることで、現地の感覚とズレが起きるということもありますが、距離のために感覚がより多様になるということもあるように思います。

 もっと言えば、この災害の未曽有の規模、膨大な死というものが社会的な事件だけでなく、日本人と日本に縁を持つ全ての人間に極めて私的なエモーションを喚起しているということもあるでしょう。距離がどうとか、価値の多様化などという落ち着いた話には納まり切らないのかもしれません。

 であるならば、こうした「こころの問題」については当分の間は「比べること」や「非難すること」はできないのではないか、そんな風に思うのです。

 例えば、野球の問題があります。日本ではプロ野球の開幕日や、公式戦の進め方についてなかなか意見がまとまらなかったようです。私は最初は、9・11の直後に野球が人々のこころに果たした役割を思うと、何としても素晴らしいプレーで前向きのパワーを出していって欲しいと思いました。9・11の直後、例えば当時ニューヨーク・メッツにいた新庄剛志選手の頑張りは今でも鮮烈な記憶として残っているからです。「被災地球団」のヤンキースと堂々とWシリーズを戦って破ったダイヤモンドバックス、特にジョンソン、シリング両エースの活躍には人々は喝采を送ったものです。

 そんな私には、セ・リーグの球団から「交流戦の見送り」などという案が出てくるのは信じられませんでした。今シーズンの野球は、東北楽天イーグルスが中心になり、どの球団も楽天戦を盛り上げるべく燃えるのではと思ったからです。ですが、今回はそうは単純には行かないのだと思います。それは電力問題に加えて、やはり災害の規模が全く違うからです。これに加えて9・11は人災で、しかも被災者側がある種の復讐心を団結に使うという次元の違う展開でしたから、比較論自体を慎むべきかもしれません。

 追悼の気持ちと音楽という問題も厄介です。私は震災の第一報に接した際に、時差の関係もあって名取市付近を襲った津波の映像や海岸に打ち上げられた多くのご遺体のニュースを一気に聞かされてから当分の間、音楽、特にクラシックの音楽が聞けなくなりました。少し聞けるようになっても、古典的な「調性」のある曲はダメでした。原発の問題など「全世界」が「きしみ」を生じているのに調和のある音には現実感がなかった、そんな感覚でしょうか。私のリハビリは20世紀の近現代の音楽からでした。

 ですが、これも人によって全く違うのだと思います。バッハやモーツァルトの響きに慰められた人も多いでしょうし、「レクイエム」ばかりを聴いていた方、勿論クラシック以外の自分の好きな曲でこころを落ち着かせた方も、あるいは何らかの追悼コンサートへの参加で「つながり」が確認できた方もあるかもしれません。落ち着きや慰めというエモーションではなく、音楽の明るいエネルギーに救われた人も多いのではと思います。ただ、現時点では「音楽と追悼」については、ものすごい個人差があるように思います。それも仕方がないのだと思います。

 そうした「こころの問題」については、やはり比較も批判も時期尚早なのでしょう。今はただ、ひたすらに前向きの話を選りすぐって人と人のこころを結ぶ、それで精一杯という時期なのです。そう言えば深田氏の最新の写真の中には、避難所で親子2人の床屋さんがブルーのビニールシートの上で老人と少女の散髪をしているものもあり、そこに静かに写し取られている人間の尊厳には救われた思いがしました。

(注記)深田氏の代表作は同氏の公式サイトで公開されています。
http://www.shihofukada.com/
特に四川大震災に取材した一連の作品を見ると、同じ深田氏のカメラで四川の悲劇と東日本の悲劇が結びついて行くのを感じます。(一部、この時期に見るにしては悲しすぎる写真もあることをお断りしておきます)

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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