コラム

トヨタが直面する「技術リテラシー」の壁

2010年02月24日(水)14時16分

 トヨタのクレーム問題に対する米下院の公聴会が始まりました。注目される豊田章男社長の証言は、明日24日(米国東部時間)になるので、初日の時点では各委員の「冒頭弁論」があり、議会側の呼んだ証人の証言があり、そうした一連の問題提起に対して、レンツ北米トヨタ販売社長が対応するという形式で終始しています。

 証言の中には「レクサス車が急加速して怖い思いをした」本人なども入っていて、議会としては「あわ良くばトヨタを追い詰めよう」という構えでしたが、初日は大きな波乱はなく終わりました。レンツ社長という人は、TVインタビューの際には、やや尊大な印象でしたが、今回の公聴会では質問に間髪を入れずに答えていてなかなかの「能吏」ぶりでした。後半に入ると、議員たちは「もうずいぶんお尋ねしてきたんですが、あと1つよろしいですか?」などと表情を和らげて質問していましたから、レンツ社長としては「乗り切った」と言って良いでしょう。アメリカの報道も、全ては明日の豊田社長にかかっているという解説が多いようです。

 今回の問題ですが、議会やアメリカのメディアに関しては、トヨタ車の「意図せぬ急加速」が電子制御の欠陥のために起こるのではないか、という一点に集約されてきています。フロアマットの問題と、アクセルペダルの引っ掛かりの問題については、トヨタは対策をした、更にはプリウスのソフトウェアも対策を実施中であり、カローラの電子ステアリングが高速で軽すぎる問題は現在調査中ということで、こうした具体的な点については、大きな「見解の相違」はありません。ですが、こうした問題が特定できるケース以外の「急加速」について、議会は徹底調査の構えであり、トヨタは「問題はない」という防戦に回っている、ここがポイントになってきています。

 この点に関しては、私は2つの困難があるように思います。1つは、トヨタ車に搭載されている電子式運転記録システムの持っているデータの扱いです。このデータを公開できれば、今日の公聴会で「本当に怖かった」と泣きながら運転していたレクサス車の暴走を訴えた女性のケースについて「実は、アクセルとブレーキを踏み違えた」のかどうか「白黒がハッキリ」するのです。他のほとんど全てのケースについてもそうでしょう。ですが、これは大変な問題を引き起こします。仮に1つのケースについて公開してしまうと、それは民事上、あるいは刑事上の事故処理にも影響してきます。

 そうなれば、膨大な事故処理をしている保険会社の調査員、あるいは地域の警察官の仕事などはガラッと変わってしまいます。また、電子記録を使って、事故処理の民事裁定をやり直すことになれば、社会は大混乱になります。トヨタ車だけでなく、全てのアメリカを走っている車に電子記録システムを義務付けて、ある時から一斉に証拠能力を認定する、そうでもしなくては公開できないのだと思います。ですから、トヨタとしては「あくまで日本の本社が技術的観点から安全性向上のためのデータとして使用」するに止めているのだと思います。そうなると、どうしても「本当の原因は何か?」という問いには推測や、消去法で結論を出してゆくしかないことになります。この点が1つあります。

 もう1つは、今日の公聴会でもジョー・バートン議員(共和、テキサス州)が言っていたのですが「昔のクルマは、アクセルやブレーキが、メカでペダルとつながっていました。でも今のクルマは電子式で怖い」というイメージです。この「怖い」というイメージ、あるいは「技術がブラックボックス化している」という問題をどう乗り越えるかです。トヨタの今回の問題では、情報公開が足りないとか、隠蔽体質(そもそもは「ウォール・ストリート・ジャーナル」が言い始めたことですが)があるとかないとかいう議論がありますが、こうした問題も、トヨタが「電子技術についてどのくらいを社会に対して説明して行ったら良いのか分からない」という悩みを抱えている、そのように理解することができます。

 例えば、このアメリカ下院委員会の雰囲気は「アクチュエータから信号がプロセッサに送られて、その演算結果に基づいて・・・」とか「エンジンのトルクを、ブレーキ予圧に回さないで済むと燃費が何%削減できて・・・」というレベルの話ができる雰囲気は全くありません。それは、議員の技術リテラシーがそのレベルだというだけでなく、「有権者の代理(レプレゼンタティブ)」である議員は、有権者が聞いて理解できる会話を行うことが、支持率確保のための鉄則だということを知っているからでもあります。つまり、国民全体の技術リテラシーが向上しないと、大衆政治の意思決定が正確な技術情報を踏まえた話にはならないのです。

 こうした中で「電子式は怖い」というイメージを、「選良」であるはずの下院議員がむしろ感情論のままに政治利用する、そうした構図ができてしまうわけです。この点に関して言えば、私のような人間は「とにかく公開してしまえ」と言って済ませてしまいがちなのですが、良く考えればかなり難しい問題とも言えます。社会的な技術リテラシーをどう向上するのかという問題と、向上するための啓蒙姿勢を高圧的と取られないコミュニケーションテクニックはどうあるべきか、という問題はかなり難度の高いテーマだからです。私はこの点に関して、トヨタは決して「上手くやっている」とは思いませんが、では「不誠実」かというと、そこまでは言えないと思います。

 そのあたりの「スッキリしない感じ」を悪く言えば「隠蔽体質」という非難になってしまうのですが、そうした感情論に一定の抑えが出来るかどうかは、明日の豊田社長に懸かっているというところです。ちなみに、こうした社会全体の技術リテラシーをどう向上させるかという問題は、アメリカ同様に日本も難しさを抱えているように思います。社会が成熟すると人々の間に「知らないことを知ってゆこう、人の知らないことを知っている人は偉いからその人に聞こう」という素朴なエネルギーが衰えて「知らない自分が見下げられるのは許せない。知っている特権層の特権利用は許さない」という感情論が蔓延するからです。そのあたりを越えないと、環境技術などの日米の競争力は本当は伸びないのではと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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