かろうじて均衡を保っていた家族の実態が暴き出される、『落下の解剖学』
やがて始まる裁判では、夫婦の複雑な関係が明らかにされていく。サンドラは、自分の心に忠実に生き、自由奔放な行動をとり、実体験を元に小説を作り上げる。一方、作家を目指すサミュエルは、生活に追われ、妻に振り回され、方向性が定まらずにもがいているようにも見える。そこで軋轢が生まれる。
夫婦の実態が暴かれるその裁判もまた、事実と虚構というテーマと無関係ではない。サンドラは、久しぶりに再会した旧知の弁護士ヴァンサンに、自分は殺していないと訴えるが、彼は、問題はそこじゃないと釘を刺す。さらに、夫婦の争いが録音されていたことを知った彼女は、歪められた事実が証拠にされてしまうと、不安を口にする。それに対してヴァンサンは、事実かどうかは関係ない、人の目にどう映るかが問題なのだと答える。これまで作家として、事実と虚構を操ってきた彼女は、逆にそれに振り回され、追い詰められているともいえる。
世代を超えた探求と内面の葛藤
これに対してダニエルの人物像や立場からは、異なるテーマが浮かび上がってくる。それは監督としてのアラリが関心を示してきたテーマだ。彼がこれまでに監督した2作品の題材はまったく異なるが、テーマには深い繋がりがある。
デビュー作のフィルム・ノワール『汚れたダイヤモンド』(2016)では、窃盗団の一員である主人公ピエールが、消息不明の父親が惨めな最期を迎えたことを知り、復讐を誓う。ダイヤモンド商の一家に生まれ、優れた職人だった父親は、伯父の冷たい仕打ちによって家を追われた。そう考えるピエールは、伯父一族に接近し、貴重なダイヤの強奪を計画する。だが、カット職人の見習いとなった彼は、ダイヤの輝きに魅せられ、才能を開花させていく。
そんな物語のポイントになっているのは、父親と息子の関係だ。ピエールにとって父親的存在は窃盗団のリーダーだったが、熟練のカット職人やインド人のダイヤモンド商と価値観を共有することによって、その図式が崩れ、激しい混乱のなかで彼は変容を遂げていく。
小野田寛郎の実話を元にした2作目の『ONODA 一万夜を越えて』(2021)が描くのも、ジャングルにおける過酷なサバイバルだけではない。その導入部だけでも父親的な存在が強く意識されていることがわかる。航空兵にも特攻隊にもなれず、自暴自棄になっている小野田の前に、陸軍中野学校二俣分校の谷口教官が現れる。谷口は、小野田が死にたくないと思っていることを見抜いていて、救いの手を差し伸べる。
だが、どんな救いなのかはすぐにはわからない。その代わりに、小野田が旅立つ前に、彼の父親が、いざというときに自決するための短刀を差し出す場面が挿入される。やがて明らかになる谷口の教えは、そんな父親とはまったく違っていた。小野田には自決する権利はなく、常に自分で判断し解決策を見いださなければならなかった。
この二作品は、主人公の内面に注目するなら、彼らが父親的な存在との関係からいかに脱却し、新たな世界を切り拓く、あるいは自己を確立するかを描いていることになる。それは本作のダニエルにも当てはめることができる。
ダニエルの成長と親子再定義
本作の前半では、サンドラの存在が際立っているが、ダニエルの内面を想像させるエピソードも埋め込まれている。たとえば、散歩のために外に出たダニエルに、両親の話し声が聞こえたかを確認する現場検証の場面だ。鋭い聴覚を持つダニエルは、これまで両親の会話を聞かないようにしてきたこと、両親をよくわかってなかったことに複雑な思いを抱いているように見える。
だからこそ彼は、傍聴席でどんな証言も、証拠の音声も聞き逃さないように集中している。そして、それらを手がかりに、事件当日だけでなく、時間をさかのぼり、身の周りで起きていたことを振り返り、大胆な検証まで試みる。その過程でこれまでの親子の関係は崩壊し、彼が自分で下した判断が、母親との接触も拒んで心の準備をする最後の証言に集約される。
トリエとアラリそれぞれの視点が絡み合う法廷劇は、夫婦の複雑な関係を炙り出すだけでなく、ダニエルが自己を確立するための重要なイニシエーションにもなっている。
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