19世紀フランスを舞台にした映画『ポトフ 美食家と料理人』:美食の世界への新たな視角
これに対して、食事を科学的に検証する後者では、脳が快楽をどのように経験するのかが明らかにされていく。オルブライトが注目する神経科学者モルテン・クリンゲルバッハによれば、すばらしい食事から得る快感は、すばらしいセックスと同じ脳のパターンを経ている。だが、超加工食品が徐々に快楽システムを変化させ、その結果、食品が快感をもたらす効果を低下させる可能性がある。
「料理を作り食べることで周囲の人々と深くて有意義なかかわりを作るのに近道はないように、どんなものを食べればよいか選ぶのには時間がかかります。それをしないでいると、一種の無快感症(喜びを感じられない症状)が表面化し、人々が食に対して抱いている一種の不安のようなものが見えてくるのです」
料理と愛情の間の微妙なバランス
トラン・アン・ユンが切り拓く料理の世界は、そんな現代の料理の状況を頭に入れておくとより興味深くなる。では彼は、このドラマでなにをどのように省略しているのか。
皇太子が催した晩餐会の料理にうんざりしたドダンは、皇太子をポトフでもてなすことに決める。そんな美食をめぐる対決は盛り上がることだろうが、トラン・アン・ユンはそのことに関心がない。晩餐会は、その前に用意されたメニューの紹介(シェフが長々と読み上げる)が描かれただけで、ドダンと共に招かれた4人の美食仲間がその感想をウージェニーに語る場面に切り替わる。晩餐会は8時間もつづいたという。
トラン・アン・ユンがその代わりに時間を割くのは、ドダンとウージェニーの料理以外の関係だ。ドダンは彼女にずっと求婚しつづけている。このドラマでは、結婚は寝室の共有という表現に置き換えることができる。これまでドダンが夜に彼女の寝室を訪れても、受け入れられるとは限らなかったが、結婚すればそれが変わることが示唆されているからだ。
ドダンが料理人としてのウージェニーだけでなく、寝室の共有を求めるということは、そこに料理にはない価値があることを意味する。だが、トラン・アン・ユンは、ふたりの性的な関係の描写を最小限にとどめる。彼が料理の描写に割く時間を考えれば、それは省略に等しい。
料理の快楽と人間関係の探求:映画の深層を解読する
トラン・アン・ユンは、そんな省略を効果的に使うことで、ドダンのなかで料理と寝室の共有の快楽に対する認識がどのように変化していくのかを掘り下げていく。そして、その変化が見えてきたとき、本作の導入部が深い意味を持つことになる。
導入部では40分ほどの時間をかけて、ドダンとウージェニーが、美食仲間をもてなす午餐会の様子が克明に描かれる。先述した『こころを健康にする食事の科学』でオルブライトは、料理の快楽を「食べものを育てる」、「作る快楽、食べる快楽」、「においと味」、「視覚、聴覚、触覚」、「誰かと一緒に食べる」という小見出しで分けて詳述しているが、冒頭の午餐会はまさにその視覚化といえる。
その午餐会で、肉や魚の見事な大皿を次々に作り上げるウージェニーと、ホストとして料理を手際よく切り分けるドダンは、単に美食仲間をもてなすだけでなく、別の次元で快楽を分かち合っている。ドダンは最後にその喜びを再認識することになる。
トラン・アン・ユンは、美食の歴史ではなく、失われつつある料理の快楽を、五感に訴えるように実に鮮やかに描き出している。
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