スペイン・ガリシアの実話を基にした映画『理想郷』:土地争いから始まった悲劇とは?
伝統と現代の対立
さらに、『ヨーロッパ新世紀』では、地元のパン工場が、EUから補助金を得る条件を満たすために、外国人労働者を雇用したことがトラブルの発端になっていた。本作では、村に風力発電の開発の話が持ち上がり、それを受け入れれば村人たちはノルウェーの企業から補償金を得られるが、アントワーヌを含む少数の村人が計画に反対していた。それも隣人との関係がこじれる要因になっている。
そしてもうひとつ、『ヨーロッパ新世紀』の記事では言及しなかった要素にも触れておきたい。それは、一部の村人たちがクマの格好をして通りを練り歩く習慣だ。それは人が獣と一体になり、丘の者と谷の者が戦う伝統行事だと説明される。
本作の原題は「AS BESTAS」で、長い歴史を持つガリシアの馬の祭り「Rapa das Bestas(野獣の毛刈り)」からとられている。本作の冒頭には、「ガリシア地方の男は野生の馬を素手で捕まえ、印を付けて、再び野に放つ」という前置きが浮かび上がり、実際に男たちが馬に飛びかかって格闘しながら押さえ込み、最終的に一体となるような様子が描き出される。
ふたりの監督は、人と獣が一体となるような伝統と、すでに伝統が失われているように見える村で行使される暴力を、「野獣」というキーワードで結びつけ、対置している。
本作で、アントワーヌの話を聞いた地元警察は「ただのご近所トラブル」と表現するが、そこには様々な要素が複雑に絡み合い、アントワーヌを追いつめていく。
ソロゴイェン監督の過去の作品との関連
これに対して二部では、残された妻オルガが村で暮らしつづけることになるが、そんな彼女の立場が、ソロゴイェン監督の前作『おもかげ』(19)と深く結びついていることに気づく。
『おもかげ』では、ソロゴイェン監督の短編「Madre」がプロローグに使用されている。スペインに住むエレナのもとに、元夫とフランスを旅行中の6歳の息子から電話が入る。それは彼女が息子の声を聞く最後の機会になり、彼は元夫が目を離したすきに人気のない海辺で行方不明になってしまう。
本編ではその10年後のエレナが描かれる。彼女はフランスの海辺のレストランで働いている。周囲には彼女の過去を知っていて、「息子を失ってイカれたスペイン人だ」と陰口をたたく人間もいる。彼女はいまではスペイン人の恋人に支えられ、間もなくいっしょにバスクに引っ越すことになっている。
だがそんなある日、彼女の前に息子の面影を感じさせる少年ジャンが現れる。彼女は少年のことが頭から離れなくなり、ジャンも彼女に関心を持ち、ふたりは急接近していく。だが、事情を察知した恋人は引っ越しを急ごうとする。ジャンの両親も息子が彼女と会えないように部屋に閉じ込める。
本作のオルガは、以前と同じように野菜を育て、ヒツジを飼い、仕事の合間に失踪した夫の捜索をつづける。そんな彼女のことを心配した娘がフランスからやってくる。娘には母親の行動が理解できず、フランスに連れ戻そうと考えている。
母親に会った娘は、何とか説得しようとする。母親のことを精神科医に相談した結果、「現実を直視できていない」とか「心の傷を引きずっている」と指摘されたと伝える。オルガの行動も、『おもかげ』のエレナの行動も、一般的な価値観に従うなら、そのようにみなされることだろう。エレナの恋人やオルガの娘は、それを前提として彼女たちを支えようとしている。
だが、ソロゴイェン監督は、そうした前提に反する生き方を提示し、エレナやオルガの変容を描き出す。彼女たちは過去を清算するのではなく、正面から向き合い、結果的にそれを追体験している。
『おもかげ』には、10年前の電話が再現されるかのようなエピソードが盛り込まれている。本作のオルガは、これまでの日常を、夫に寄り添う立場ではなく、自らが先頭に立って体験している。
変容と新たな関係の構築
そんな追体験を通して彼女たちが変容を遂げていることは、これまでなら間違いなく避けたはずの人物と関係を構築しようとする姿勢に現れている。そして、ソロゴイェン監督が描こうとしているのが、自分を取り巻く世界や他者と新たな関係を構築するためのイニシエーションだったことに気づくのだ。
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