ブラック・ライヴズ・マター運動と映画の交差: ケネス・チェンバレン事件の衝撃的な再現
彼は障害のある子供や大人のためのセラピストとして働くことからインスピレーションを得てキャリアをスタートさせ、彼自身も自閉症スペクトラムという障害を抱えている。そのため、低所得者層のコミュニティに属し、双極性障害を患うケネスに深い共感を覚えた。本作では、そんな精神疾患の影響も克明に描かれている。
安否確認のためにやってくるパークス、ジャクソン、ロッシという3人の警官たちの関係も重要な要素になる。たとえば、パリのバンリュー(郊外)を舞台にしたラジ・リ監督の『レ・ミゼラブル』(2019)では、地方から出てきた若い警官が犯罪対策班に配属され、バンリューをよく知るふたりの警官と組むが、やがて彼らの過剰な暴力や不正を目の当たりにし、対立していく。
本作では、中学校の教師だった新米警官のロッシが同様の立場になる。私たちは、冷静で中立であろうとする彼に近い位置から、次第にエスカレートしていく異様な状況を目撃することになる。
そして、実際に作品を観ると、その映画的な効果が際立つのが一枚のドアだ。そのドアの効果は、テーマに直接的な結びつきはないが、デヴィッド・フィンチャー監督の『パニック・ルーム』(2002)を想起させる。異変を察知した母娘と豪邸に侵入した3人の男たちが、緊急避難用のセキュリティ・ルームに隔てられて対峙する。
空き家から隠し財産を持ち出す計画だった男たちは、想定外の事態に結束が乱れ、利害が複雑に絡み合い、泥沼にはまっていく。一方、内部では一型糖尿病の娘にインスリンを投与する必要に迫られる。
本作では、ケネスと警官たち双方の認識にずれが生じ、大きくなっていくことで、たった一枚のドアが強烈なサスペンスを生み出すことになる。
映画のキャラクターとその対立
物語は、ケネスが就寝中に、首にかけたペンダント式非常ボタンを無意識に外そうとし、ボタンを押してしまうところから始まる。すぐにオペレーターが通報装置でケネスに話しかけるが、彼は気づかない。それが負のスパイラルの起点になる。
そこで、会社からの通報を受け、パークス警部補と部下のジャクソンとロッシが到着する。彼らが会社から提供された情報は、対象者が精神的に不安定ということだけだった。まだ寝ていたケネスは、ロッシのノックで起こされるが、まだ誤作動には気づいていない。
そのため、ドアスコープの向こうに警官の姿を見ると、「緊急の用はない。また靴を盗みに?」というように、謎めいたことを言い出す。ケネスと彼のことを心配した家族との電話のやりとりなどから、彼が以前に別の警官からひどい嫌がらせを受けていたことが、後に明らかになる。
そして、ケネスが警官の用件を理解し、誤作動だったと伝える頃には、上司からパークスに直接確かめるようにという指示が出てしまっている。警官たちは身分照会によって、ケネスに妄想傾向の双極性障害という診断結果が出ていることを確認する。
そこでロッシは、ドアを叩けば動揺するので、障害があるなら待つべきだと提案するが、犯罪の温床になっている地域の現実を知らない新米の発言として無視される。ケネスはロッシが最初にノックした時点でも、衝撃を受けていたが、偏見を露わにするジャクソンは、拳銃の台尻でドアを激しく叩きつづける。ケネスのなかには、以前の警官の嫌がらせや海兵隊の訓練の記憶がよみがえり、妄想にとらわれていく。
そんなやりとりの分岐点になるのは、ケネスがドアガードをかけたまま、ドアを少し開く場面だろう。彼は、通信装置を通してオペレーターに警官たちを説得してもらうためにそうするのだが、パークスはもはや聞く耳を持たず、何とかこじ開けようとする。そして、再びドアが閉じられたとき、パークスはそれを屈辱ととらえ、我慢の限界に達する。
彼は応援を要請し、ドアを破壊する決断を下す。すでに階段下には、ケネスの姪や住人たちが集まり、事態を目撃しているが、誰も警官たちを止めることはできない。
ミデル監督は、小さな認識のずれが偏見に満ちたカオスに変貌する過程を生々しく描き出している。
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