二人のおばあちゃんが、経済の専門家を訪ね歩いて知識を吸収し、アメリカ経済に切り込んだ
彼女たちが浮いてしまうのは、経済の状況とも無関係ではない。この映画では、アメリカにおける政治と経済の関係の変化が、ふたりの政治家の演説を通して巧みに描き出されている。
成長に疑問を持つ彼女たちを最初に刺激するのは、YouTubeで見つけたロバート・F・ケネディの昔の演説だ。その要旨は以下のようになる。私たちは長い間、各自の資質や共同体の価値よりも物質の蓄積を優先させ、国民総生産が拡大した。だが国民総生産の中身は何なのか。そこには大気汚染や原生林の破壊、ナパーム弾や核弾頭も含まれるが、子供たちの健康や教育の質や遊びの楽しさは含まれない。価値あるものすべてを省いてしまう尺度であり、米国についてすべてを語っているが、誇るべきものはすべて除かれている。
物が増えて幸せなのか?そんな素朴な疑問から出発する Faction Film(C)2013
そして、これと対置されるのが、テレビで経済政策について語るオバマ大統領の姿だ。彼は成長を強調し、民主党と共和党が協力して経済を加速させることを主張している。この対置には、単なるメッセージの違い以上の意味がある。ここで思い出されるのは、チャールズ・ファーガソンが監督したドキュメンタリー『インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実』とそれを補完するために膨大な資料を駆使して書いた『強欲の帝国――ウォール街に乗っ取られたアメリカ』(藤井清美訳、早川書房)のことだ。
それらは金融危機の内実に迫るだけでなく、80年代に始まる規制緩和によって政治が経済に取り込まれていく過程を浮き彫りにしている。共和党だけでなく民主党も同じであることは、『強欲の帝国』の以下の記述がよく物語っている。「民主党の変化を最も雄弁に物語っているのは、進路を変える未曾有のチャンスがあったにもかかわらず、オバマがブッシュの方針を踏襲したことだろう」
では、経済優先の社会で人々はどのように生きているのか。この映画では、三種類の人間の姿が印象に残る。まず、シャーリーとヒンダが潜り込むウォール・ストリート・ディナーに集う財界人たち。次に、映画の冒頭に映し出される失業して住む家もない人々。そしてもうひとつは、シャーリーがニューヨークの街角で言葉を交わす若い男女に代表される人々だ。彼らには近い将来に収入が大幅に増える見込みもなく、自分の家が持てるとも思わず、車もなく地下鉄を利用し、負担の少ない生活を送っている。
<脱成長>理論を提唱するセルジュ・ラトゥーシュは、『<脱成長>は、世界を変えられるか?』(中野佳裕訳、作品社)のなかで、先進国の豊かさが国民を貧しくする理由について以下のように書いている。「強欲と競争に基づく社会は、絶対的な『負け組』(競争に取り残された人々)と相対的な『負け組』(競争をあきらめた人々)を大量に生み出す」。そんな状況がずっと続けば、シャーリーとヒンダも奇人とはみなされなくなるだろう。
【映画情報】
『シャーリー&ヒンダ ウォール街を出禁になった2人
公開:9月19日、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開。
監督:ホバルト・ブストネス
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