マイケル・サンデル教授に欠けていた、「ヤンキーの虎」の精神
2018年、コンシューマー・エレクトロニクス・ショーで講演するマイケル・サンデル教授(ネバダ州ラスベガス)Rick Wilking-REUTERS
<文化資本など「生まれ」で学歴が決まる問題が話題になっている。しかし、本当に「学歴」は「成功」へとつながる唯一の道なのか? 高学歴層に抜け落ちている視点について>
「公共性」について研究する谷口功一・東京都立大学教授は、地域社会を支える人々のネットワークが「夜の公共圏」、つまり酒場で築かれていることに着目する「スナック研究」の第一人者。
奇しくもコロナ禍で「夜の街」は法的根拠が怪しいままに批判対象となり、攻撃を受けた。
そのコロナ禍で地域を支える人々の記録と記憶を綴り、コミュニティ再生への道を照らすノンフィクション『日本の水商売 法哲学者、夜の街を歩く』(PHP研究所)より、3章「いわき、非英雄的起業家の奮闘」を一部抜粋する。
サンデル教授が囚われている強迫観念
最近流行ったマイケル・サンデル教授の『実力も運のうち――能力主義は正義か?』(早川書房、2021年)という本があった。
この本のなかでは、アメリカで有名大学への入学にまつわる不公平さが論じられており、両親の財産や文化資本など、ほぼ「生まれ」によって入学試験で測られるべき能力が規定されてしまっていることの問題性、そして、そのようにして獲得された能力(と学歴)をもつ人びとの、そうでない人びとに対してもつ「傲慢さ」が手厳しく批判されていた。
しかし、この本を2021年度の私のゼミで読み、また講義の夏期レポートにも課して学生たちの感想を聞く限りでは(94人提出)、本書は間違ったメッセージを発しているのではないかと思ってしまったのである。
多くの学生は私の勤務校である東京都立大に入学できたことを感謝しつつも、それがたまさかの境遇(運)によるものとして、ともすれば「罪悪感」さえ抱いていたのである。
しかし、後述するとおり、別に「学歴」は「成功」へとつながる唯一の道でもないのではないだろうか。
サンデルはこの本の末尾で、能力主義の陥穽に囚われない市民的な共通善(公共心のようなもの)の涵養が必要であることを力説する。たとえば以下の、ほぼ結論に当たる一節である。
私がこのくだりを読んで思ったのは、「スナックの話をしているのかな?」だった。スナックのような「夜の街での社交」がないアメリカ人には「誠にお気の毒様......」としか言いようがないのであるが。
それはさておき、サンデルの本の中心的なテーマに戻ると、そこでは「学歴」と「成功」があまりにも強く結びつけられており、それがあたかも必然的な因果関係を形づくっているかのような、一種の強迫観念になってしまっているのではないか、という疑問を私は抱いたのだった。