コラム

「中国vs.ベトナム」衝突の力学

2011年06月18日(土)16時25分

 今から9年ほど前のこと。留学先の北京のある大学の図書館2階で勉強していると、窓の外で見慣れない一団が学内を見学しているのが見えた。やや浅黒い顔、おそろいの白っぽい民族衣装風の服。彼らを見て、なじみの図書館職員のおばさんがなぜか嫌そうな顔をしていたので、「朝鮮(北朝鮮)?」と声を掛けてみた。「越南(ベトナム)」と、うんざりした様子で答えた彼女の顔を今もはっきり覚えている。

 32年前の1979年、中国とベトナムは同じ社会主義国同士にもかかわらず、激しく憎み合って戦火を交えた。双方とも「自分が勝った」と言っているが、文化大革命にうつつを抜かしていた人民解放軍が対米戦争を戦い抜いたベトナム軍相手に大損害を出し、わずか1カ月で事実上撤退した、というのが大方の見方になっている。たった1カ月間で双方合わせて数万人の死者を出し、その遺恨のせいで両国関係は04年の首脳相互訪問まで冷え込んだ。

 今月初め、双方が領有権を争う南シナ海南沙諸島の近海で中国漁船とベトナムの資源探査船がトラブルを起こし、両国政府が互いを罵る外交問題に発展した。去年、東シナ海の尖閣諸島沖で日本相手に起こした漁船衝突事件と構図はほぼ同じだ。膨張する「胃袋」を満たすため、中国漁船は自国の沿岸から遠く離れた海域にまで積極的に漁に出る。魚を求めて限界ぎりぎりまで迫るから、しばしば「国境線」を争う隣国とトラブルになる。中国政府が漁業監視船を「護衛」のように貼り付けていることが、国ぐるみの拡張政策と憶測を呼ぶ――。

「アラフォー」の中国人には今も激戦の記憶は強く残っている。雲南省昆明市出身の中国人の友人は以前、「戦争のときは街中に戦車があふれていた。子供だったからすごく喜んでいたけどね」と笑いながら教えてくれた。雲南省はベトナムに侵攻する人民解放軍の拠点の1つだった。今も一定年齢以上の中国人に何らかの形でベトナム蔑視は残っていると思う。ただ、今回の事件は「膨張」する中国が引き起こしたといえるのか。

 中国国内では地方政府に抗議する自爆事件や内モンゴル自治区での民族衝突、インフレ率の高騰といった内部矛盾による圧力が徐々に高まりつつある。「国内の不満をガス抜きするために中国政府が仕掛けた」という「陰謀論」も成立しそうだが、インフレ率だけを取るなら実は中国よりベトナムの方が高い。中国は先月5・5%だったが、ベトナムは何と19・78%だ。

 88年の27・90%という高インフレが翌年の天安門事件の引き金になったことはよく知られているが、資産防衛できない市民の不満は往々にして政府に向かう。その怒りの矛先が中国に向かえば、ベトナム政府の圧力は緩和される。今回、抗議デモが起きているのがベトナム側だけであることや、実弾演習というベトナム海軍の積極的対応を見れば、「乗り気」なのはむしろベトナム側であるようにも見える。

 ベトナム政府内の事情もある。ベトナムでは今年1月に共産党大会を経て新しいグエン・フー・チョン体制が発足したばかりだ。初の外交問題に直面した新体制が「新機軸を打ち出そうとしている可能性はある」と、中国とベトナムの事情に詳しい北京在住のJICA(国際協力機構)プロジェクト専門家、今井淳一氏は指摘している

 中国がさまざまな意味で「膨張」しようとしているのを否定することはできない。インフレ率だけを基準にすることはできないが、それでも5・5%であればまだ中国側には余裕があり、むしろギリギリなのはベトナム側ということになる。ただ歴史的に中国に虐げられてきたベトナムは、中国にとって日本よりずっと手強い相手になるかもしれないが。

――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

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