コラム

タイ騒乱の「黒シャツ」は舞い戻る

2010年05月22日(土)03時39分

 タイのアピシット首相は21日、タクシン元首相派勢力「反独裁民主戦線」(UDD)の暴徒による混乱が「正常化しつつある」と述べ、治安回復を宣言した。

 ただとてつもない傷跡を残したことは間違いない。バンコクの「富」の象徴であるシーロム地区を襲った暴動で、ホテル客室稼働率は20~30%に落ち込み、空港の到着者数は4分の1に。経済の7%近くを環境産業に頼り、環境関連の雇用は20%に上る。観光客の数は今年、1550万人になると試算されていたが、今回の暴動で、その数が約300万人減る可能性があるとタイ政府はみている。

 今回の暴動で死者は85人、負傷者は1898人に達した。そしてタクシーの運転手などが多い「赤シャツ」たちは、それぞれの生活に戻っていった。

 騒乱が長引いた理由の1つには、いくつかの別組織が赤シャツに加わっていたことがある。実際に赤シャツ隊幹部が投降し、デモ隊に解散を宣言してもすぐにコントロールすることはできなかった。

 特筆すべきは、混乱にちらついていた「影」だ。その影とは、赤色でも黄色でもない「黒シャツ団」だ。赤シャツのデモ隊に比べ過激派で、武装され、黒ずくめ。赤シャツと治安部隊の衝突にまぎれ、本格的な武器で治安部隊を襲撃した。

 多くのメディアが「謎に包まれた集団」と呼んでいるように、黒シャツが表に出てくることはないが、タイを不安定化し、アピシット政権崩壊を狙っているのは間違いないようだ。

 またここ2カ月の間に、銀行や軍関連施設、送電塔や航空機用の燃料貯蔵庫などを攻撃しようとする企てが発覚した。タイの英字紙ネーションは、バンコクに電気を供給するアユタヤの送電塔に3つの爆弾が仕掛けられたが、幸いに2つだけが爆破。3つまとめて爆破していたら送電塔は倒壊しただろうと報じている。

 まさに「テロ」だ。その裏にもデモ隊の武闘派、黒シャツがいた可能性がある。アピシットは、黒シャツ団に対して厳重に対応すると発表し、政府関係者は黒シャツが「戦争などで使われる武器」を使用していると指摘している。実際にグレネード・ランチャーをはじめ、軍ばりに武装し、訓練もされている。元軍人がメンバーに入っているとの話もあるが、実際はどういう集団なのかよく分かっていない。どう武器を手に入れているのかも判然としない。誰が裏にいるのか。いまだに説明されていない。

 バンコクでスナイパーによって銃撃されて後に死亡したカティヤ・サワディポン陸軍少将撃が組織したとの説もある(この事件ではサワディポン支持の軍の不満分子が、スナイパーが銃撃を行なった由緒ある高級ホテル「ドゥシタニ」を報復に爆破した)。4月にロイター通信の邦人テレビカメラマンが殺害された時も、黒シャツの関与が取りざたされた。

 黒シャツの不気味さに加え、今回の衝突ではプミポン国王の存在感も議論されている。赤シャツの幹部の投降も状況の沈静化も、結局はなんら問題の解決にはなっておらず、今後も不安定な状況は続くかもしれない。これまで、プミポン国王が混乱時には発言を行ない、対立リーダーと会談し、タイのテレビ、新聞にリーダーらがプミポンの前で床に体を投げ出すようにひれ伏す様子が流され、一件落着となった。ただ今回はそうした動きはみられない。

 プミポンが王室の力を高めるにつれて育ってきたエリート層が、タクシン支持者で地方の貧困層である赤シャツ隊と衝突する対立軸はもはや社会運動になっていて、衝突は遅かれ早かれ、また発生するだろう。地方の貧困層はタクシンに良い思い出しかなく(医療制度改革などのバラマキ)、タクシンは神格化されている。

 赤シャツ隊はプミポンに忠誠を示すが、一方で、プミポンが作る手助けをしたエリート層の「システム」を変えたいと主張している。また健康問題と後継問題に加え、王室が政治的な安定維持を手助けしてきたシステムが崩壊し始めているとの指摘もあり、今後が注目されている。

 いずれにせよ、結局また「黒シャツ」は姿を見せることになるだろう。混乱に乗じてこれからも散発的に「テロ」を起こす彼らこそが、これからタイの安定を妨げる可能性が指摘されている。

----編集部・山田敏弘

このブログの他の記事も読む

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国軍が東シナ海で実弾射撃訓練、空母も参加 台湾に

ビジネス

再送-EQT、日本の不動産部門責任者にKJRM幹部

ビジネス

独プラント・設備受注、2月は前年比+8% 予想外の

ビジネス

イオン、米国産と国産のブレンド米を販売へ 10日ご
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story