コラム

朝青龍と面会しないモンゴル大統領の対日外交

2010年03月26日(金)11時00分

 暴行事件を起こして横綱を引退した元朝青龍関が、3月11日に故郷のモンゴルに凱旋帰国した。朝青龍はモンゴルの国民栄誉賞にあたる「労働英雄賞」も受けるほどの国民的英雄として慕われ、「将来は大統領候補に」という報道もあるという。このため引退をめぐる一連の騒動に関しては、モンゴル国民の間に日本の相撲協会やメディアに対する反発が強かった。

 当初、朝青龍は凱旋帰国の翌日に大統領府への表敬訪問を予定していた。しかしエルベグドルジ大統領はこれに応じず、結局、政権で「ナンバー5くらい」の地位のエンフボルド副首相が応対した。大統領は朝青龍の引退の理由が暴行事件だった経緯を重視して、モンゴル国内の反日感情を高めないよう面会に応じなかったと見られている。さらに15日に東京で会見した来日中のドルリグシャブ・モンゴル大統領府長官は、朝青龍の引退に関して「相撲は単なるスポーツではなく、伝統という意味も含んでいることを理解することが重要」と、日本側への配慮を示した。

 モンゴルの政権がここまで対日関係に気を使うのは何か理由があるのだろうか? まず考えられるのが日本からモンゴルへのODA(政府開発援助)の規模の大きさ。民主化した90年以降、日本はモンゴルに対して積極的な援助外交を展開している。91年から2002年までの間に外国からモンゴルへ行われた約23億ドルの援助のうち日本の占める割合は断トツトップの36%にもなる。援助分野も社会インフラの整備から人材育成まで多岐に渡っている。

 さらにモンゴルの地政学的な位置関係。ロシアと中国という2大大国に挟まれるモンゴルは、安全保障策として両国への依存度を低くしたい。そのために日本との関係を重視している。ところが政府のODAに比べて日本企業による民間投資は思ったように進んでおらず、中国や韓国に大きく水を開けられている。15日に会見した大統領府長官もその点に触れ、モンゴルの金や、石炭、ウランの資源開発への日本の資本参加を期待していると述べながら、「日本は企業と政府がお互いを見合って足を踏み出さない。官民一体の動きが鈍い」と苛立ちを隠さない。

 現職の民主党エルベグドルジ大統領は、朝青龍と懇意だった前政権の人民革命党エンフバヤル大統領を昨年の大統領選挙で破って当選した。朝青龍との面会に応じなかった背景にはこうした政治的な対立もあった。

 いずれにしてもエルベグドルジ大統領は、朝青龍がいくら国民的英雄であろうと、この時点で面会して日本世論の心象を悪くし、将来にわたる日本との外交関係を揺るがすことはできない、と判断したようだ。

――編集部・知久敏之

このブログの他の記事も読む

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ミャンマー地震の死者1000人超に、タイの崩壊ビル

ビジネス

中国・EUの通商トップが会談、公平な競争条件を協議

ワールド

焦点:大混乱に陥る米国の漁業、トランプ政権が割当量

ワールド

トランプ氏、相互関税巡り交渉用意 医薬品への関税も
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジェールからも追放される中国人
  • 3
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 4
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 5
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 6
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 7
    不屈のウクライナ、失ったクルスクの代わりにベルゴ…
  • 8
    アルコール依存症を克服して「人生がカラフルなこと…
  • 9
    最古の記録が大幅更新? アルファベットの起源に驚…
  • 10
    最悪失明...目の健康を脅かす「2型糖尿病」が若い世…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えない「よい炭水化物」とは?
  • 4
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 5
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 6
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 7
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 8
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 9
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 10
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story