死者2万人に迫るリビア大洪水「決壊したダムは20年以上メンテされてなかった」
とはいえ、そこにはリビア固有の「人災」としての顔もある。
大洪水の後、デルナのマドウルド副市長は決壊したダムが2002年からメンテナンスされていなかったことを明らかにした。つまり、老朽化したダムの放置が壊滅的な損害をもたらしたとみられるのだ。
「ダムに亀裂があるといったのに...」
もともとワディ・デルナ河は定期的に氾濫を繰り返してきた。第二次世界大戦中の1941年には、この地に駐屯していたロンメル将軍率いるドイツ・アフリカ軍団の戦車部隊が濁流に呑み込まれたという記録もある。
1960年代に治水の必要がいわれるようになり、ユーゴスラビアの支援によって上流のアル・ビラドダム(150万立方メートル)と下流のアブ・マンスールダム(2,250万立方メートル)は建設された。
その後もワディ・デルナ河はしばしば氾濫を起こしたが、二つのダムはデルナを防衛した。最後の氾濫は2011年に記録されている。
しかし、近年では老朽化が目立ち、専門家だけでなく地元住民からも不安の声があがっていた。あるデルナ市民は欧州メディアの取材に「ダムに亀裂が入っていると先週、地方政府にいったのに、誰もまじめに聞こうとしなかった」と主張している。
老朽化したダムが放置されてきたのは、この国の政治に原因がある。
リビアでは1969年にムアンマル・カダフィがクーデターで実権を握った。腐敗した王政を打倒して革命政権を樹立したカダフィは、当初こそ国民生活の向上に努めた。氾濫を繰り返していたワディ・デルナ河に二つの近代的ダムが建設されたことは、これを象徴する。
しかし、その治世の後半にリビアの社会経済は停滞の一途をたどった。政治家や公務員が賄賂を受け取ることばかり考えるなか、インフラのメンテナンスといった地道な作業は放置されたのである。
二つの政府が並び立つ国
こうした状況に拍車をかけたのが、リビアの戦乱だった。
カダフィ体制は2011年、北アフリカ一帯に広がった政変「アラブの春」のなかで崩壊した。腐敗した体制を打倒して登場したカダフィは、腐敗した独裁者として倒されたのだ。
その後首都トリポリには選挙を経た政府が発足したが、国内には軍事勢力が林立し、戦火は全土に広がった。デルナにはシリアやイラクを追われた過激派組織「イスラーム国(IS)」のメンバーが流入し、一時は街を牛耳るほどの勢力になった。
さらに2014年、リビア国民軍(LNA)を名乗る武装組織の連合体が東部一帯を掌握し、トリポリの暫定政権と対立するに至った。いわば二つの政府が並び立つなか、デルナはLNAの支配下に置かれたが、その後もイスラーム主義者とLNAの間で戦闘も散発的に続いてきた。
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