コラム

反政府デモに緊急事態宣言で、追い詰められたタイ政府

2020年10月16日(金)15時00分

例えば、アメリカではコロナを理由に緊急事態宣言が発令されても、黒人差別への抗議運動(BLM)の取り締まりを目的としたものはない。いかにトランプ大統領がBLMを嫌っていても、国内の特定の政治勢力を念頭に緊急事態宣言を発令することは、表現の自由や思想信条の自由に抵触しかねないだけに、慎重にならざるを得ない。

そのうえ、超法規的な取り締まりを無闇に発動すれば、憲法を中心とする体制そのものへの不信感がむしろ大きくなりかねない。

つまり、緊急事態宣言の発令は政府の身を守る最大の武器であるだけに、それが効果をあげなかった場合、政府の求心力が地に落ちていることを逆にあぶり出すことにもなるのだ。

この観点から今のタイをみると、緊急事態宣言で反政府デモの取り締まりが加速しても、それでタイ政府が望む「公共の秩序」が回復するとは思えない。そこには主に3つの理由がある。

「アメなしでムチだけ」

第一に、今のタイ政府には、力ずくの支配に対する不満を和らげるための措置が難しいことだ。

一般的に、独裁的な体制であっても力ずくの支配だけに頼ることは稀で、多くの場合は経済成長や国民生活の改善など、なんらかの「アメ」で国民の不満を和らげようとする。天安門事件後の中国で政治運動が急速にしぼんでいった大きな原因は、当時の若者がその後、経済成長の恩恵を受け、いわば「守りに入った」ことにあった。

つまり、緊急事態宣言で政治活動を徹底的に抑え込んでも、一人一人の生活がよくなれば、後になって不満が大爆発するリスクは小さい。

ところが、タイの場合、以前にも取り上げたように、2010年代から経済は長期的に低迷してきたが、コロナはこれに拍車をかけている。国際通貨基金(IMF)の最新の見通しによると、タイの成長率は今年-7.1%、来年4.0%と見込まれる。これは周辺のインドネシア(-1.5%、6.1%)やマレーシア(-6.0%、7.8%)などと比べてもダメージが大きい。

「アメとムチ」は開発独裁体制の基本だが、アメのない状態でムチだけ強めても、すでに政府や体制への不信感ではち切れそうになっているタイの若者を止めることは難しいだろう。

ネット規制はどこまで可能か

第二に、緊急事態宣言で政治活動を取り締まるにしても、特にネット空間においてタイ政府には限界がある。

タイの反政府デモはSNSなどを駆使する若者が中心だ。これに対してタイ政府は先月、YouTubeの動画を含む「違法な内容がある」2200以上のウェブサイトを遮断した。ネット規制は、現代の強権支配の常とう手段だ。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:もう賄賂は払わない、アサド政権崩壊で夢と

ワールド

アングル:政治的権利に目覚めるアフリカの若者、デジ

ワールド

尹大統領の逮捕状発付、韓国地裁 本格捜査へ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 8
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 9
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 10
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story