トランプ-金正恩会談に期待できないこと、できること──「戦略的共存」への転換点になるか
外交交渉に臨む以上、最初からハードルを下げることはあり得ません。しかし、最初に言ったことと、最後に出てくることが一貫しないのも、外交交渉の常です。まして、発言をうやむやにするのはトランプ大統領の十八番。大方針が固まれば、「人道的観点から」など、制裁を事実上緩和する理由づけは、後からいくらも可能です。
米朝にとって、「北朝鮮の核・ミサイル実験の停止」と「制裁の一部緩和」は、最上の結論ではなくとも、少なくとも高まった緊張を和らげ、それぞれの安全を確保するという最低限の利益には適います。自分にとって最大の利益だけを追求して最悪の結末を迎えるくらいなら、妥協をしてでも最低限の利益を確保する、というのが合理的判断です。
最低限の利益を目指す場合、米朝はお互いに都合の悪いことを「みてみぬふり」をする必要があります。米国にとっては、北朝鮮による核保有を「承認」しないまでも、それが米国を含む周囲に向けて発射されない限り、実際上「みてみぬふりをする」という選択です。これは北朝鮮にとって、自分が米国に認められていないという事実を「みてみぬふりをする」ことに他なりません。
気に入らない相手との「平和共存」
「信用できない相手と約束しても意味がない」という意見もあり得ます。しかし、相手のことが気に入らなくても、信用できなくても、「自分を実際に攻撃することはない」と理解できるなら、最低限のつき合いにとどめながら、お互いに並び立つことは可能です。
冷戦時代の米ソは、イデオロギー的には全く相いれない関係でしたが、かといって相手も核兵器を持っている以上、お互いに先制攻撃を加えて相手を抹消するという選択もあり得ませんでした。相手国を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)、先制攻撃を受けた際に確実に反撃する潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の開発は、これを後押ししたといえます。
そのなかで、1953年にスターリンが死亡した後のソ連が米国との「平和共存」に舵を切り、これを機に米ソ間の緊張緩和が段階的に進展していきました。この場合の米ソも、それぞれにとって最上の結論、つまり「相手を完膚なきまでたたきのめして自国の安全を図る」という欲求を実際には封印したといえます。
もちろん、「平和共存」で米ソ間の不信感がなくなったわけではなく、その後も両者は基本的には「敵対する国」でした。実際、両国内の強硬派の不満もあって、その後も米ソは核開発競争を続け、少しでもお互いに優位に立とうとし続けました。
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