『砂の器』のラストで涙の堰が一気に切れ、映画にしかできないことを思い知る
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<映画を観ながら号泣したのは、野村芳太郎監督の『砂の器』が初めて。映画は、社会や政治の矛盾や不正の告発をエモーショナルに表現することができる。そんな表現形態はなかなかほかにない>
今さらという言葉が気恥ずかしいくらいに今さらだけど、映画とは何かと考える。
最も簡潔な定義は、スクリーンに投影される映像によって構成される作品、ということになるだろうか。
ただしもちろんこの定義は、サブスク配信が全盛期の現代には当てはまらない。あくまでも古き良き時代の映画だ。長さはおおむね2時間前後。ホラーやコメディー、サスペンスにバイオレンス、時代劇や社会派など、ジャンルは多岐にわたる。
最近は動画という言葉をよく耳にするが、映画もテレビドラマも、実は映像は全く動いていない。映画(フィルム)なら1秒24コマで、テレビドラマ(ビデオ)ならば30フレームの静止画が高速で映し出されるので、目が錯覚を起こすのだ。要するに原理は、子供の頃にノートの端に描いたパラパラ漫画。これは昔も今も変わらない。補足すればフィルムの時代は90年代まで。今では映画もほとんどがビデオ撮りだ。
初めて劇場で観た映画は何か。これが分からない。おそらくは東映アニメ祭りとか怪獣映画あたりだろうと思うのだが、小学校低学年で観たディズニーの動物ドキュメンタリー『砂漠は生きている』も強く印象に残っている。
その後にドキュメンタリーに傾倒した原点であるとかなんとか書きたくなるが、そもそもドラマではなくドキュメンタリーを選んだ理由は、大学を卒業してからドラマを作るつもりで入ったテレビ番組制作会社が、実はドキュメンタリーを専門にしている会社だと入社後に気付いたからだ。普通は入る前に調べないか、と同僚にあきれられた。僕も自分であきれた。でも結果として、ドキュメンタリーの面白さに気が付いた。
初めて劇場で観た映画についての記憶は曖昧だけど、観ながら初めて号泣した映画ならばよく覚えている。野村芳太郎が監督した『砂の器』だ。
それまでも『いちご白書』や『続・激突! カージャック』『ワイルドバンチ』などアメリカン・ニューシネマの作品を観ながら、鼻の奥がつんと甘酸っぱくなるような体験は何度かあったけれど、泣くことはなかった。
だって暗闇とはいえ、映画館には知らない男女がたくさんいる。上映が終わって場内が明るくなってから、泣いていたのはこいつかなどと両隣から顔を見られたらたまらない。