あきれるほど殴る蹴る ちぐはぐで奇天烈、でも刺激的な映画『けんかえれじい』
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<二転三転するアイロニーは新藤兼人の脚本と監督・鈴木清順の美学の衝突か>
大学の映研で8ミリ映画を撮っていた頃、観ておいたほうがいい映画の筆頭として、『けんかえれじい』はよく耳にした。
ただしこの時期、僕にはこの映画の面白さは分からなかった。荒唐無稽すぎると思ったような気がする。
主人公の南部麒六(きろく)は、クリスチャンの道子に恋い焦がれる岡山の旧制中学の生徒。一本気な性格でけんかに巻き込まれることが多く、やがて学校を制圧する。つまり番長だ。軍事教練の時間に教官と衝突したことで転校を余儀なくされ、麒六は親戚が暮らす会津若松の家に転がり込む。
しかし転校初日から柔道部の猛者やクラスのワルたちとのけんかが始まり、ここでも番長格となった麒六は、地元のバンカラ集団である昭和白虎隊と死闘を繰り広げる。
......取りあえずストーリーの中盤までを書いたが、ここに意味はほとんどない。そもそも鈴木清順監督は、ストーリーに興味を示さない。
改めて観たが、けんかシーンの荒唐無稽さについては衝撃を通り越してあきれる。中学生たちは手に竹やりや鍬(くわ)や鋤(すき)を持ち、秘密兵器のメリケンたわし(大きなくぎを仕込んだたわし)にひもを付けて振り回す。顔や頭に当たったら死ぬ。けんかのレベルじゃない。
さらに、けんかの理由もよく分からない。殴り合う学生たちにも分からないはずだ。とにかく殴る。蹴る。井戸や肥だめに落とす。落とされる。容赦ない。
公開は1966年。つまり世界的にスチューデントパワー(学生運動)が激化し、アメリカン・ニューシネマの時代が始まり、ブラック・パンサーやウーマンリブ運動が産声を上げ、中国では若い紅衛兵たちが造反有理を叫ぶ文革の時代が始まり、日本では安保闘争が激化した時代だ。
つまり世界的に、反体制・反権力を達成するための暴力(文革が反権力かどうかは措[お]く)を肯定する空気が広がり始めた時代ともいえる。ならば脚本を書いた新藤兼人の狙いは明らかだ。
ただし新藤は公開後、「あれは僕の本じゃない」と怒ったという。理由は清順が脚本には書かれていないエピソードを映画に盛り込んだから。
1936年2月26日、陸軍皇道派の青年将校たちが首相官邸や警視庁、内務大臣官邸などを襲撃して政府要人4人と警官5人を殺害し、陸軍省や東京朝日新聞社などを占拠した。2・26事件だ。青年将校たちの理論的支柱として処刑された社会主義者北一輝と麒六との(脚本には書かれていない)出会いを、清順は映画に盛り込んだ。やがて2・26事件が起きたことを知った麒六は、まなじりを決して東京に向かう。
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