コラム

日本にも憤る市民、米兵の悲しげな表情... 『Little Birds』が伝える加工なきイラク戦争

2021年02月05日(金)11時20分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<客観中立を装うテレビとは根本的に異なる映像と編集。米軍侵攻後も現地にとどまり、リポートを続けたフリージャーナリスト・綿井健陽が本当に伝えたかったこと>

大学を卒業した綿井健陽は、埼玉県の工場で期間工として働き、そこでためた資金を元にカメラなど機材を購入して、1997年にようやくフリージャーナリストになった。

とはいえ国家免許や資格があるわけじゃない。自称した瞬間に誰だってフリージャーナリストになれる。

ただし綿井は自称だけではない。その後にスリランカ民族紛争やパプアニューギニアの津波被害、東ティモール紛争に米軍のアフガニスタン侵攻などを現地で取材し、写真や文章で発表し続けた。この頃の彼の肩書の1つは戦場ジャーナリスト。時代はちょうどカメラがアナログからデジタルに変わる時期だ。綿井が発表する映像も、スチールだけではなくデジタルの動画が多くなっていた。

大きな転機は2003年3月20日。アメリカがイラクに軍事侵攻したこの日、首都バグダッドに滞在する日本の組織メディアのほとんどは避難していた。なぜなら本社から退避命令が来るからだ。

欧米の記者たちはほとんどが侵攻後も滞在している。当たり前だ。侵攻の瞬間を取材するために来ているのだから。でも日本のメディアはほぼいない。ジャーナリズムの使命感よりも組織の論理を優先するからだ。

補足するが、いま退避するならば何のために来たんだよと、指示に抵抗した記者やディレクターは相当数いた。でも社命に背くことはできない。二度と現地に来られなくなる。

しかし綿井は米軍侵攻後も現地にとどまり続けた。なぜなら彼はフリーランスだ。退避を命じる上司はいないし、企業コンプライアンスやガバナンスなど組織の論理も関係ない。こうして綿井はバグダッドからイラク戦争を現在進行形で伝え続けた。この頃にテレビでニュースを見ていた人は覚えているかもしれないが、バグダッドからの彼のリポートをテレビ朝日『ニュースステーション』とTBS『筑紫哲也 NEWS23』が放送していた。競合番組なのだから普通はあり得ない。でも現地には綿井しかいないのだ。

やがてイラクから帰国した綿井は、自分の撮った映像がどのようにテレビで加工されていたかを知る。これは違う。これでは伝わらない。そう思った彼は、素材を自分で編集することを決意する。

こうしてドキュメンタリー映画『Little Birds─イラク 戦火の家族たち─』が誕生した。テレビとは何が違うのか。観れば分かる。米軍の無慈悲な爆撃で殺されたイラク市民たちの無残な遺体がモザイクなしで映される。日本もアメリカの同盟国だと憤る市民たちの声が聞こえる。自分たちの加害性に気付いた米兵の悲しげな表情があらわにされる。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米メーシーズ、第4四半期利益が予想超え 関税影響で

ワールド

ブラジル副大統領、米商務長官と「前向きな会談」 関

ワールド

トランプ氏「日本に米国防衛する必要ない」、日米安保

ワールド

トランプ氏、1カ月半内にサウジ訪問か 1兆ドルの対
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない、コメ不足の本当の原因とは?
  • 3
    113年間、科学者とネコ好きを悩ませた「茶トラ猫の謎」が最新研究で明らかに
  • 4
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 5
    一世帯5000ドルの「DOGE還付金」は金持ち優遇? 年…
  • 6
    強まる警戒感、アメリカ経済「急失速」の正しい読み…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    定住人口ベースでは分からない、東京23区のリアルな…
  • 9
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 10
    34年の下積みの末、アカデミー賞にも...「ハリウッド…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story