森達也
私的映画論

映画『橋のない川』で描かれるこの国の部落差別は過去形になっていない

2022年06月09日(木)13時00分
『橋のない川』

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<民族は同じ。言語も宗教も同じ。なのに差別は続いている──海外の学者やジャーナリストは、日本の部落差別についてどうしても分からないと首をかしげる>

1999年に発表したテレビドキュメンタリー『放送禁止歌』は、絶対的な放送禁止歌だと多くの人から思われてきた岡林信康の「手紙」を、ラストにフルコーラスで流した。なぜこの曲は放送禁止歌だと思われてきたのか。被差別部落問題をテーマにしているからだ。でも差別を助長するような内容ではない。そんな曲を岡林が作るはずはない。

なぜ差別があるのか。する側とされる側の何が違うのか。その差別の帰結として多くの人が苦しんでいる。「手紙」の中の女性は、自らの苛烈な体験を訴える。でも声高ではない。小さくて弱々しい声だ。だからこそ歌が必要なのだ。

仕事柄、海外の学者やジャーナリストと話す機会が多い。今も世界にはさまざまな差別がある。でも日本の部落差別について、どうしても分からないと彼らは首をかしげる。民族は同じ。言語も宗教も同じ。ところが差別は今も続いている。

もちろん、民族や宗教の違いを理由に差別することだって論外だが、ならば日本の部落差別の理由と根拠は何なのか。職業差別なのか。でも仕事を変えても差別されると聞いた。教えてほしい。理由は何だ──。

そう言われても分からない。キーワードは穢(けが)れと浄(きよ)め。あるいは天皇制。どちらも日本固有の概念とシステムだ。でもそれだけが、1000年以上にわたり多くの人たちを差別してきた理由にはなるとは思えない。

69 年に製作された『橋のない川』は、住井すゑが発表した同名小説が原作だ。『ひめゆりの塔』や『米』など多くの社会派ドラマを撮ってきた今井正監督はこの長編小説を読み、すぐに映画化をもくろんだ。しかし大手映画会社は企画に難色を示し、今井は自ら立ち上げた独立プロダクションで製作を開始する。

舞台は明治末期、奈良盆地にある被差別部落。日露戦争で父を亡くした小学生の誠太郎と孝二は、母と祖母と暮らしていた。地主から借りた田畑は小さい。しかも収穫のほとんどは地代として消えてしまう。稲わらの草履作りが一家の主な収入源だ。

小学校を卒業した誠太郎は村を出て大阪に奉公に行き、一家は3人となる。孝二の友達の武が空腹に耐えかねて豆を炊こうとして火事を起こすが、部落外から来た消防団は本気で消火活動をしようとしない。多くの家が焼失し、武は自殺した。

武の父親である藤作は、娘を売って手に入れた金で村の消防ポンプを買うことを決意するが、そのポンプがまた悲劇を引き起こす。藤作を演じる伊藤雄之助の存在感が圧倒的だ。祖母を演じる北林谷栄や、母を演じる長山藍子も素晴らしい。

プロフィール
プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

今、あなたにオススメ
話題のニュースを毎朝お届けするメールマガジン、ご登録はこちらから。
注目のキーワード
注目のキーワード
トランプ
投資
本誌紹介
特集:引きこもるアメリカ

本誌 最新号

特集:引きこもるアメリカ

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

2025年4月 8日号  4/ 1発売

MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中

人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 10
    トランプが再定義するアメリカの役割...米中ロ「三極…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
もっと見る
ABJ

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。