収奪的なオリンピック、包摂的なパラリンピック
東京オリンピック開会式で天皇陛下と手を振る「ぼったくり男爵」ことIOCのバッハ会長 Dylan Martinez-REUTERS
<オリンピックは、能力の高い人々にアメとムチを与えることでその能力を極限まで引き出させる競争社会の縮図である一方、パラリンピックは、さまざまなハンディキャップを持つ人々がみな能力を発揮できる共生社会のモデルといえそうだ>
経済学者のアセモグルとロビンソンが2012年に出版した『国家はなぜ衰退するのか(Why Nations Fail)』という本は大きな話題を呼んだ。この本はノガレスというアメリカとメキシコの国境にまたがる町についての印象的な記述から始まる。この町のアメリカ側もメキシコ側もヒスパニック系の人々が住んでいるし、気候も変わらない。しかし、街の様子はまるで違っている。アメリカ側は豊かで整備され、メキシコ側は貧困で乱雑である。
いったいなぜこんな差ができてしまったのか。それは制度の違いによるのだという。メキシコを含むラテンアメリカでは、著者たちの言葉によれば「収奪的な経済制度」が実施されてきた。先住民たちに銀を採掘させ、先住民たちをラティフンディオ(大規模農場)で働かせて貢納を召し上げ、サトウキビプランテーションではアフリカから連れてこられた奴隷が働いた。要するに他者の労働を搾取する制度ばかりが作られた。
一方、北アメリカでは先住民の数が少なかったため、入植者たちは自分たちで農地を開拓して自らを養わなければならなかった。そのため、私有財産の保護、法の支配が確立した。こうした経済制度を著者たちは「包摂的な経済制度」と呼ぶ。
収奪的だった東京オリンピック
アメリカの入植者たちは自分たちの統治者を選挙で選ぶようになり、アメリカ合衆国憲法につながっていく。これを著者たちは「包摂的な政治制度」と呼ぶ。一方、個人や特定の政党による独裁が行われていたり、国内が統合されてなくて、群雄割拠の状況にある国は「収奪的な政治制度」のもとにある、とする。
そして著者たちは収奪的/包摂的という二分法によって世界や歴史を切っていく。包摂的経済・政治制度を持つ国は発展して繫栄し、収奪的経済・政治制度を持つ国は、仮に一時的に発展しても長続きしない。この二分法によれば、中国はどうみても収奪的経済・政治制度の側に属する。したがって著者たちは中国の経済成長は長続きしないとみている。
さて、この収奪的/包摂的という観点からこのたび東京で開かれたオリンピックとパラリンピックを振り返ってみると、東京オリンピックは実に収奪的な大会であった。世論調査で国民の過半数が中止か延期を望んでいたのに開催が強行され、そのことによって、懸念されていた新型コロナの蔓延が起きた。
EVと太陽電池に「過剰生産能力」はあるのか? 2024.05.29
情報機関が異例の口出し、閉塞感つのる中国経済 2024.02.13
スタバを迎え撃つ中華系カフェチェーンの挑戦 2024.01.30
出稼ぎ労働者に寄り添う深圳と重慶、冷酷な北京 2023.12.07
新参の都市住民が暮らす中国「城中村」というスラム 2023.11.06
不動産バブル崩壊で中国経済は「日本化」するか 2023.10.26
「レアメタル」は希少という誤解 2023.07.25