お金になりそこねた日本の「電子マネー」
FeliCaを開発したソニーが結局自力による電子マネーの普及をあきらめたのも、読み取り機を商品商店に配置していくコストの大きさに耐えられなかったからである。ソニーは2001年に関連会社としてビットワレット株式会社を設立し、FeliCaを利用した電子マネー「Edy」を広めようとした。ビットワレットは読み取り機を格安価格で商店にレンタルすることでEdyを普及させようとしたが、読み取り機を配置するコストのため大赤字に陥り、楽天に身売りすることになった(立石泰則『フェリカの真実』草思社、2010年)。
日本の電子マネーは全体として使える場所が限られているだけでなく、いろいろなブランドが乱立しているため、一つのブランドの電子マネーが使える場所となるとさらに限定されてしまう。
コンビニは各系列がそれぞれ電子マネーを運営していて他のコンビニ系列の電子マネーは受け付けない。nanacoはセブンイレブンだけ、Pontaはローソンだけ、TポイントはファミリーマートとサークルKサンクスだけ、WAONはミニストップだけ、と使える電子マネーが限定され、レジで他のコンビニ系列の電子マネーを出そうものなら、「何ですか、それ?」と白眼視される。
最初のボタンの掛け違い──SuicaとEdyの分裂
こうした展開は、実はFeliCaを開発したソニーの技術者たちにとっても心外なことだった。立石泰則氏の『フェリカの真実』によれば、技術者たちはFeliCaに載せる電子マネーは一種類だけ、すなわちEdyだけとし、それに鉄道の乗車券だとか商店のポイントカードといった付加部分を付け足すことを構想していた。ところが、他ならぬEdyの運営主体であるビットワレット株式会社によってこの構想が踏みにじられてしまった。
Edyが実用化される前夜の2001年春、ソニーと一緒にFeliCaを開発して電子乗車券「Suica」に利用したJR東日本が、Suicaに電子乗車券として使う部分以外にEdyを搭載したいと申し出てきた。ところがビットワレットはこの申し出を断ってしまったのである。そのため、Suicaは独自の電子マネー機能を持つようになった。
そして、後にFeliCaを使ったWAONだとかnanacoといった電子マネーが続々と登場するが、それぞれEdyやSuicaとは相容れない独自の電子マネーとなったのである。
利用できる範囲が限定された日本の電子マネーは、立石泰則氏が喝破するように「どこでも誰でもが使えるはずの『マネー』とは程遠く」なった(『フェリカの真実』191ページ)。では、それはいったい何なのだろうか。
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