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死を覚悟した男と、「暗い絵」を描く子供たち...ウクライナ西部で見た「平和」の現実
ボビラさんに「国境を越えれば、もっと環境の良い施設で暮らせるのに、どうして避難者はポーランドに行かないのか」と質問すると、「祖国を離れたくないという人もいれば、お金のない人もいます。ロシア語しか話せない人も多いのです」と語る。意欲のある人は職を見つけられるが、ロシア語だけでは難しい。政府の援助金を当てにする人も少なくない。
避難者のルスラン・アリーユさん(21)は戦争が始まる前はハルキフのパン屋で働いていた。開戦初日の2月24日にロシア軍のロケット攻撃や死者を目の当たりにした。自宅も破壊され、翌25日に家族5人で列車に乗って逃げてきた。残りの家族はフランスに逃れたが、アリーユさんは残った。18~60歳の男性はウクライナ国外に出られないからだ。
年老いた両親を残していけないと実家に残った母
「今は駅で食べ物をふるまうボランティア活動をしているよ。特に感じることはない。とにかく1日も早く戦争が終わって帰宅したい。それだけだ。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領はこれまでのウクライナの大統領の中で最高だ」とアリーユさんは語る。
ポーランドでは若くて健康なウクライナ人男性には出会わなかったが、リビウには筆者が想像していた以上に若い男性がいた。ウクライナに残った男が銃を取ってロシア軍と戦うか否かは実際のところ、それぞれの意志に委ねられているという。
ハルキフの警察学校で学んでいたヨハン・ハフハンコさんは東部ルハンスクの出身だ。ホールで簡易ベッドを組み立てていた。「ロシア軍が攻めてくると、すぐにハルキフからルハンスクの実家に戻りました。母は年老いた両親を残していけないと実家に残りました」。父とハフハンコさんはリビウに逃れてきた。母とは毎日、携帯電話で連絡を取っている。
この避難所でハフハンコさんは7歳の娘がいる女性と恋に落ち、同棲を始めた。「東部戦線のセカンドフロントで戦っている兄からは『ロシア軍の砲撃は激しく、重傷者が出ているので絶対に志願するな』と釘を刺されています。両親も行くなと言います。それでも祖国を守るために戦いたい」とハフハンコさんは語る。
すでに死を覚悟しているような静かな表情だったが、ガールフレンドと7歳の娘を残して前線には行けない。案内役のボビラさんは「大学では経営学を学んでいます。僕はまだ17歳で戦争に行かなくていい年齢です。18歳になる頃には戦争は終わっていると思います。授業はすべてオンラインに切り替えられ、週3日ここでボランティアをしています」と言う。