コラム

韓国・植物園の「客寄せ」だった土下座像が象徴する当節の「反日」の軽さ

2020年08月03日(月)17時05分

そしてそれ故に、これまでの世界や日本政府、世論ではこの様な国内外の「公人」に対する過激な表現は容認されてきた。そこには、人々に表現の自由や政治的自由が認められるべきである、という考え方があった。また仮にこれらの行為を理由に当該国政府に抗議しても、表現の自由を理由に拒否されるのみならず、逆に他国に対して人々の自由の抑圧を求めるものとして、国際社会から非難される恐れすら存在した。だからこそ、最初にソウル市内に設置された「少女像」についても、日本政府はそれが自らの在外公館の至近に置かれており、その尊厳を損なうものである、という根拠を以て臨んでいる。何故なら、在外公館の尊厳、という前提を置かなければ、一国の政府が他国政府に私有物の撤去を求める事は困難だ、と考えられてきたからである。

にも拘わらず日本政府は官房長官の記者会見での発言という形で、この問題を公式に提起した。今回の一対の銅像は、私有地に置かれた私有物であるから、これに対して一国の政府が「日韓関係に重大な影響を与える」とするのは、実はかなり踏み込んだ異例な行為だと言える。そしてだからこそ、この一対の銅像を設置した植物園には、本来なら、自らを守るための模範解答もまた存在した筈だった。それは日本政府に対して、銅像の設置が自らの強い政治的意志によるものであり、正当な政治的表現の一環だ、と述べて正面からこれに打ち返す事である。つまり、「この銅像は安倍首相を象徴したものであり、それは自分がその政治信条として、安倍首相に元慰安婦らに銅像として示したで謝罪する事を求めるものである。これに干渉する日本政府は自らの表現の自由を踏みにじろうとしており許しがたい」と述べる事である。

銅像には韓国内でも賛否

しかし、今回、植物園はこの誰にでもわかる模範解答を選択しなかった。即ち、メディアで注目を浴び、問題が大きくなると植物園関係者は、それまでの発言を翻し、少女像の向かい側で頭を下げる銅像が「安倍ではない」と言い始めたのである。即ち、園長である金昌烈は、自分が言ったのは「安倍ならばよかった」という話であり、「まもなく総理から退く安倍を形象化しても作品にならない」として、この銅像は特定の人物をモデルとしたものではないと主張したのである。

明らかなのは、この植物園や関係者が、韓国内外、とりわけ韓国内において巻き起こったこの銅像を巡る議論を引き受ける準備が、何も出来ていなかった事である。この一対の銅像を巡っては、韓国国内においても賛否が分かれており、植物園はその対処に追われる事になっている。中でも韓国国内で大きな議論となったのは、具体的な他国の政治的指導者の姿を屈辱的な形で銅像にするのが適切か否かであり、その背景には時に、自国やアメリカや北朝鮮等、韓国政府が外交的に重視する国々の政治的指導者への過度な批判を抑制しようとする韓国国内の一部の世論があった。そしてだからこそ植物園側は、この国内の一部からの批判をかわす為に、当初の発言を翻して、銅像は「安倍ではない」と主張する事になった事になる。

プロフィール

木村幹

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。また、NPO法人汎太平洋フォーラム理事長。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。最新刊に『韓国愛憎-激変する隣国と私の30年』。他に『歴史認識はどう語られてきたか』、『平成時代の日韓関係』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(読売・吉野作造賞)、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『高宗・閔妃』など。


あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米メーシーズ、第4四半期利益が予想超え 関税影響で

ワールド

ブラジル副大統領、米商務長官と「前向きな会談」 関

ワールド

トランプ氏「日本に米国防衛する必要ない」、日米安保

ワールド

トランプ氏、1カ月半内にサウジ訪問か 1兆ドルの対
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない、コメ不足の本当の原因とは?
  • 3
    113年間、科学者とネコ好きを悩ませた「茶トラ猫の謎」が最新研究で明らかに
  • 4
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 5
    一世帯5000ドルの「DOGE還付金」は金持ち優遇? 年…
  • 6
    強まる警戒感、アメリカ経済「急失速」の正しい読み…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    定住人口ベースでは分からない、東京23区のリアルな…
  • 9
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 10
    34年の下積みの末、アカデミー賞にも...「ハリウッド…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story