障がいがある子の新米お母さんたちへ、今伝えたいこと(前編)
絶望の淵にいた7年前の私ですが、誰にだったらこの思いを相談できるだろうか、と当時必死に相手を探しました。友人、親、兄弟、専門家。皆頼りになる存在ではありましたが、誰よりも話を聞きたかったのは数年後の自分自身というのが考えに考え抜いた結論です。どうやってこの苦しみから逃れたのか、どう自分の中で折り合いをつけたのか。それも何十年も先に子育てがすっかり終わった自分でなく、数年後の子育て真っ最中の自分に会って話が聞きたいと心底思ったものです。
ただでさえ障がいを抱えた子供と対面したばかりで混乱をしている時に、今回のような悲惨な事件の表層的な報道に接したら――少なくとも7年前の私であれば戸惑い、途方に暮れ、二重三重に苦しんでいたはず。そこで、かつての私のような新米のお母さんがもしいらしたら、その苦しみを少しでも和らげることが出来ればとの思いから、今回少しわがままを申し上げて、この場を借りることにしました。
娘は生まれた直後から動脈管の不具合で、酸素が体に行き渡らないような状態でした。あとからわかることではあるのですが、心房中核欠損も見つかり、彼女は翌日すぐに京都の第一日赤に救急搬送(その後、大阪循環器病センターでお世話になり、手術を経て家に戻ったのはその年の年末でした)。私の方は帝王切開で身動きが出来ず、出産した病院から一週間後に退院。自分の腕の中に出産したはずの赤ちゃんがいないまま退院をする人がいること、そんな人たちに思いを寄せるなど自分はこれまで微塵もしたことがなかったのを、得も言われぬ虚しさの中で、まざまざと思い知らされました。
退院して家に戻ると、当時取り掛かっていた著作である文春新書の編集担当の方から、体調を見ながらでよいので、「はじめに」と「おわりに」を書いて下さいとの依頼が来ていました。娘の病院に通う日々の中で何を書こうか、あれこれ考えていた時にふと思いだしたのが、以前の職場である銀行のディーリング・ルームの仲間内でシマウマとライオンに例えて、相場や相場参加者についてよく語っていたことです。ライオンとシマウマ、弱肉強食。
自分も所詮シマウマの端くれですが、娘はシマウマの中でも最も弱いシマウマで、あっと言う間に食べられてしまう。そんなことを思うと、本当にやりきれない気持ちになったものです。順番からすれば、私の方が先に世を去ることはわかっています。将来彼女が、道に迷って困っている時、親切な誰かが家の方向を教えてくれるだろうか。お腹を空かせて路頭に迷うようなことがあった時に、おにぎりの1つも恵んでくれる、そんな殊勝な人はいてくれるのだろうか。他力本願、無責任と言われようが、あとは社会にお願いをするしかない。とは言え、娘が安心して生きていけるような確約された将来は一向に見えて来ず、本当に悲しい暗い気持ちにもなりました。
娘に手を差し伸べてもらうためには、差し出してくれる方が幸せでなければならない。そして、そういう方が一人だけでは無理です。娘が偶然に出会うチャンスが少なすぎます。なるべく多くの方が、つまり社会全体が気持ちにも懐にも余裕がなくては娘のような子供たちは生きていけない、という思いに至り、そう著作にも記しました。
この筆者のコラム
アメリカの「国境調整税」導入見送りから日本が学ぶこと 2017.08.04
加計学園問題は、学部新設の是非を問う本質的議論を 2017.06.19
極右政党を右派ポピュリズムへと転換させたルペンの本気度(後編) 2017.04.13
極右政党を右派ポピュリズムへと転換させたルペンの本気度(前編) 2017.04.12
トランプ政権が掲げる「国境税」とは何か(後編) 2017.03.07
トランプ政権が掲げる「国境税」とは何か(前編) 2017.03.06
ブレグジット後の「揺れ戻し」を促す、英メイ首相のしなやかな政治手腕 2016.12.26