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安保法制論争を「脱神話化」する
なぜ根拠のない予言と安保関連法案への感情的な嫌悪感が広がってしまったのか(8月30日の国会周辺デモ) Thomas Peter- REUTERS
■魔女狩りの世界へ?
2015年8月30日に、安保関連法案の廃案を求める大規模なデモが国会周辺で行われた。安保関連法案を批判する人々の熱情はエスカレートして、感情的な叫び声が鳴り響いている。一部の声は、もはや理性的な主張の域を超えてしまった。
テレビ朝日の報道番組「報道ステーション」が安保法制に関する憲法学者へのアンケート調査として、「一般に集団的自衛権の行使は日本国憲法に違反すると考えますか?」という質問をだした。これに対して井上武史九州大学准教授が、「憲法には、集団的自衛権の行使について明確な禁止規定は存在しない」と答え、「それゆえ、集団的自衛権の行使を明らかに違憲と断定する根拠は見いだせない」と述べると、その後になんと怒りの感情をあらわにした誹謗中傷の書き込みがあいつぎ、中には殺害予告や、あるいは所属する大学を「退職させろ」という脅しのメールなども来たようだ。
これを報じたニュース番組のキャスターが、「たとえ意見が異なると言っても、こうした行為は、絶対に許されません」と述べ、「正々堂々と議論に参加し、法案について、しっかりと考えを深める時だと思います」とコメントをした。また、井上武史氏も、「日本は『表現の自由』がある国なので、残念なことだとは思っています」と述べている。
安保関連法案に反対する多くの人たちは、戦争を嫌い、平和を愛して、人の命を何より大切にする人々のはずだ。ところが、自らとは異なる見解を圧殺し、その存在を否定して、殺害まで求めるとは、常軌を逸脱している。建設的な議論の前提には、相手の主張に耳を傾け、深く吸収し、それを尊重する寛容の精神が不可欠だ。
フランスの啓蒙思想家ヴォルテールの言葉として広く知られた、「私はあなたの意見に反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」、という姿勢とは、まさに対極である。悪の存在しないユートピアを創出しようと、20世紀に入っても中国の文化大革命や、カンボジアのポル・ポト派の虐殺において、恐るべき殺戮による血の海が広がった。井上准教授への、不寛容で、危険な批判は、まるで魔女狩りの時代へ戻ったようである。自由な学問の世界に、「異端尋問」の文化を持ち込むべきではない。
■国際協調への不信と敵意
それでは、なぜこのようなことになってしまったのか。それは、安保関連法案に批判的な学者や文化人の人たちの多くが、実際の条文を丁寧に読むことさえせずに、イメージやイデオロギー、そして現政権批判という政局的な行動から、日本国民を安保法制への感情的な激烈な嫌悪感へと誘導したからだと思う。京都大学教授で高名な憲法学者の大石眞教授も、そのような問題意識から、次のように述べる。「我々憲法学者は、政権へのスタンスでものを言ってはいけない。そこを誤れば、学者や研究者の範囲を踏み外してしまう。時代とともに変わる規範を、きちんと現実の出来事にあてはめることが責任ある解釈者の姿勢だと思う。」(読売新聞、2015年8月2日)
政局的な思惑や、現政権批判として憲法問題を論じるとすれば、それはきわめて危険な「火遊び」である。かつて似たような「火遊び」があった。1930年に浜口雄幸立憲民政党内閣がロンドン海軍軍縮条約で、緊張緩和と軍事費削減のための軍縮合意をすると、野党立憲政友会総裁の犬養毅と鳩山一郎は、この浜口内閣の決定が本来は天皇大権であるはずの統帥権を干犯する越権行為だと批判して、政局的な思惑から帝国議会で激しい攻撃をした。
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