コラム

アントニオ猪木、歴史に埋もれたイラクでの「発言」

2022年11月14日(月)13時10分

カルバラーは、そのフセインが、ウマイヤ朝軍によって殺害された場所であり、彼が死んだイスラーム暦のムハッラム月10日はアーシューラーと呼ばれ、シーア派最大の祝祭である。毎年この前後には世界中のシーア派信徒がフセインの殉教を追悼する行事に参加する。

したがって、猪木がこの地でイスラームに入信(改宗)したということは、猪木がシーア派のイスラーム教徒となったことを意味している。ただし、猪木がイスラームへの入信をどの程度真剣に考え、またどの程度戒律を遵守していたかはわからない。

「ムハンマド・フセイン猪木」は西側の経済封鎖を非難した?

ちなみに上記の記事では記されていないが、その後のイラクのメディアでは猪木に言及するとき、彼のムスリム名で呼ぶのが一般的になる。

上述のイラーク紙の記事から約1か月後、10月26日付ジュムフーリーヤ紙の6ページに猪木が当時のイラクの国会議長、サァディー・マフディー・サーリフと会見したときの記事があった。そのなかでは、イラク国会議長が昨日(1990年10月25日)、「日本の国会のスポーツ平和委員会議長である「ムハンマド・フセイン猪木氏」を団長とする日本の議員団と会見した」とある。

今となっては当時のイラクのメディアを精査することは困難である。あくまで筆者手持ちの資料を調べて、たまたま見つけた記事なので、もっと早く「ムハンマド・フセイン」という名前が出ていた可能性は否定できない。

ちなみに、この記事のなかで猪木は、イラクに科せられた経済封鎖を非難したことになっているが、実際、彼がそういったかどうかはわからない。日本の主要メディアではそもそもこの会見について触れているもの自体見つからず、このとき猪木がどのような発言をしたかは確認できなかった。

当時のイラクのメディアは自分たちに都合のいいことしか書かないし、猪木もそれについて発言しておらず、この記事を猪木が読んだという確証もない。もう一人の当事者であるイラクの当時の国会議長もすでに死んでいる。

当時在イラク日本大使館にいたアラビスト書記官が通訳などでくっついていた可能性もあるので、機会があれば、訊いてみたい。

いずれにせよ、湾岸危機・湾岸戦争からすでに30年以上が経過し、あれだけ多くの日本人が関わり、また莫大な資金援助を行ったにもかかわらず、事件は歴史のかなたで忘れ去られようとしている。

断片的ではあるものの、このようなかたちで当時の出来事を記録にとどめておくのもきっと何か意味があるにちがいない。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏がゼレンスキー氏を再び批判、「もっと感謝

ワールド

ウクライナは和平実現に実質外交、ゼレンスキー氏「米

ワールド

トランプ氏の和平への決意伝える、国務長官がチェコ外

ワールド

イスラエルがガザ南部攻撃、2人死亡 停戦合意の崩壊
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Diaries』論争に欠けている「本当の問題」
  • 3
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 4
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 5
    バンス副大統領の『ヒルビリー・エレジー』が禁書に…
  • 6
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 7
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 8
    米ウクライナ首脳会談「決裂」...米国内の反応 「ト…
  • 9
    世界最低の韓国の出生率が、過去9年間で初めて「上昇…
  • 10
    生地越しにバストトップがあらわ、股間に銃...マドン…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    富裕層を知り尽くした辞めゴールドマンが「避けたほ…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    イーロン・マスクのDOGEからグーグルやアマゾン出身…
  • 7
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 8
    東京の男子高校生と地方の女子の間のとてつもない教…
  • 9
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 10
    日本の大学「中国人急増」の、日本人が知らない深刻…
  • 1
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 4
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 5
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 6
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 7
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story