コラム

大ヒット曲「イスラエルが嫌い」の歌手が亡くなった

2020年01月20日(月)12時30分

歌詞は「イスラエルが嫌い」をずっと連呼するだけ

彼の歌にはしばしば政治的メッセージが込められているといわれる。たしかに代表作「イスラエルが嫌い」はエジプト国内で物議をかもしたが、実際のところこの歌からイデオロギー的なものはいささかも感じられない。

この歌は、その発表の直前におきたパレスチナでの、いわゆる「アクサー・インティファーダ」という反イスラエルの騒乱がモチーフになっているとされるが、歌詞は「イスラエルが嫌い」をずっと連呼するだけで、あいだに少し「ムバーラク(元エジプト大統領)が好き」とか「アムル・ムーサー(元エジプト外相、元アラブ連盟事務総長)が好き」「アラファト(PLO議長)が好き」といった言葉が入るだけだ。

で、エジプトで物議をかもしたのも、「イスラエルが嫌い」の部分ではなく、実は「アムル・ムーサーが好き」というフレーズであった。当時、エジプトはムバーラク大統領の独裁的な支配のもとにあり、後継者はその息子ガマールだといわれていた。ライバルとも目された「アムル・ムーサー」を、そのムバーラクと並べて、好きだというというのは、ムバーラク王朝を否定することにもなりかねない。

当時、エジプト人のなかには、この曲がどうして検閲を通ったのか訝しがるものも少なくなかった。実際、ウソかホントか、アムル・ムーサーは、この歌がヒット中の2001年5月、外相からアラブ連盟事務総長に転身している。エジプト人は、この人事について、ムバーラクがアムル・ムーサーの人気が高まったのを煙たがったためとまことしやかに噂したものであった。

作詞家イスラーム・ハリールの戦略だったといわれる

噂の真偽はともかく、シャァバーンはこのあとも次から次へとふしぎな歌を連発する。シートベルトの歌は、当時、エジプトでシートベルトの着用が義務化されたことを受けて、ちゃんとシートベルトをしようという「メッセージ」であった。

また、テロ組織アルカイダの指導者ビン・ラーデンの歌とか、同じくテロ組織イスラーム国IS指導者アブー・バクル・バグダーディーの歌などもある。基本的にエジプトの一般大衆の喜びそうなテーマを安直に取り上げて、毒にも薬にもならないような単純な歌詞をつけて歌っているだけだ。

そのほか、オバマ大統領の歌、マイケル・ジャクソンの歌、豚インフルエンザの歌、最近ではワーエル・ゴネイムの歌などなどがある(ゴネイムは2011年のエジプト革命の英雄)。タイトルを聞くと、怖いもの見たさ(?)で、聴きたくなる人もいるんではなかろうか。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

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