コラム

『ボヘミアン・ラプソディ』ゾロアスター教とフレディの複雑さ

2019年03月25日(月)16時00分

複雑な民族的・宗教的背景をもったまま英国にやってきた

そのマレックが演じたフレディ・マーキュリーが二重三重の意味で、マイノリティーであり、それが彼にまつわる環境や彼のメンタリティーをより複雑にしていたことは、この映画のヒットとともに日本でも注目を集めるようになったので、ご存じのむきも多いだろう。

フレディは1946年、インド生まれの両親のもと「ファローフ・バルサーラー」としてアフリカのザンジバルで生まれた(ただし、彼の一族の本来の母語であるグジャラート語でそう発音するのかどうかは不明)。両親は「パールシー」と呼ばれるインドに住むゾロアスター教徒である。

ゾロアスター教はもちろんイラン生まれの善悪二元論を特徴とする宗教だが、イランがイスラーム化すると、多くのゾロアスター教徒がインドに逃れ、やがて彼らはかの地でパールシーと呼ばれるようになった。パールシーとはペルシア人の意味である。

ヒンドゥー教が多数を占めるインドでは、彼らは少数派であるが、経済的には大きな力を有しており、有名なインドの巨大財閥タタ(ターター)もパールシーだ。また、パールシーは音楽の才にも恵まれているのだろうか、熱烈なイスラエル支持者としても知られる指揮者のズービン・メータもパールシーである。

フレディの生まれたアフリカの島ザンジバルは、現在は対岸のタンザニアの一部だが、19世紀までアラビア半島南部のオマーンの統治下にあり、その後英国が保護下に置いた。こちらもまた複雑な歴史を辿っている。

フレディが生まれたのは、ザンジバルが英国の保護領であった時代である。英国の保護下、ザンジバルには英領インドから多くのインド人が入りこみ、オマーン(アラブ)人、インド人、そしてアフリカ系住民という三層構造ができ、英国人をトップにオマーン人とインド人が上層部を形成し、アフリカ系はその下に位置づけられることとなった。

ちなみに、このザンジバルには19世紀末には日本から多くの娼婦(いわゆる「からゆきさん」)が渡っていったことでも知られている。このあたりは白石顕二の名著『ザンジバルの娘子軍』にくわしいので、関心のあるかたはぜひどうぞ。

フレディはインドで初等・中等教育を受け、その後ザンジバルに戻った。だが、ザンジバルでアフリカ系住民による革命が発生し、アラブ系やアジア系住民が虐殺される事件も起きたため、一家は英国に移住した。父がもともと英国植民省に勤務していたからか、フレディははじめから英国籍をもっていたらしいが、いずれにせよ、複雑な民族的・宗教的背景をもったまま英国にやってきたことはまちがいない。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国、ウィングテックとネクスペリアの協議を支援

ビジネス

英、国民保健サービスの医薬品支出20億ドル増額へ 

ビジネス

補正予算案が衆院通過、16日にも成立見通し 国民・

ワールド

アングル:日銀会合後の円相場、金利反応が焦点に 相
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア空軍の専門家。NATO軍のプロフェッショナルな対応と大違い
  • 2
    トランプの面目丸つぶれ...タイ・カンボジアで戦線拡大、そもそもの「停戦合意」の効果にも疑問符
  • 3
    「何これ」「気持ち悪い」ソファの下で繁殖する「謎の物体」の姿にSNS震撼...驚くべき「正体」とは?
  • 4
    死者は900人超、被災者は数百万人...アジア各地を襲…
  • 5
    【クイズ】アジアで唯一...「世界の観光都市ランキン…
  • 6
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 7
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 8
    「正直すぎる」「私もそうだった...」初めて牡蠣を食…
  • 9
    「安全装置は全て破壊されていた...」監視役を失った…
  • 10
    イギリスは「監視」、日本は「記録」...防犯カメラの…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 4
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 5
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 6
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 7
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 8
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 9
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 10
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 9
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story