コラム

W杯クロアチア代表にイスラーム教徒らしき選手がいない理由

2018年07月26日(木)16時30分

クロアチアは「キリスト教世界の防波堤」だった

ベスト4で唯一、ムスリムらしき選手を見つけられなかったのがクロアチアである。そのクロアチアはかつて「キリスト教世界の防波堤」と位置づけられていた。何から守るかといえば、もちろんイスラーム世界の盟主であったオスマン帝国からである。

クロアチアを含む旧ユーゴスラビアにはムスリムが多数を占める地域が少なくない。クロアチアの南東で国境を接するボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニア)もそうだ。

W杯直前、日本代表監督を解任されたヴァイド・ハリルホジッチはそのボスニアで生まれている。彼が日本代表監督に就任したとき、トルコの新聞が彼の名を「ヴァヒト・ハリル・ホジャ・オール」と表記していたので、ヘーっと思った。ハリル・ホジャとは「ハリル先生」という意味で、オールは「子」、つまり彼の苗字「ハリルホジッチ」は「ハリル先生の一族」という意味になる。

彼の先祖はイスラーム法学者かモスクの説教師かなんかだったのだろう。本人が意識しているかどうかはわからないが、理論上はムスリムのはずだ(ユーゴスラビア時代には、ボスニア人〔ボシュニャク人〕はムスリマニ〔ムスリム人〕と呼ばれていた)。

1992年にボスニアがユーゴスラビアからの独立を宣言すると、ユーゴスラビアの中心であった東方正教会のセルビアは、それを阻止するためにボスニアを攻撃する。最初、ボスニアは、カトリックのクロアチアと共闘していたが、やがて対立が生まれ、セルビア・ボスニア・クロアチアの三つ巴の戦いとなる。停戦までに死者20万、難民200万を産んだ、第二次世界大戦後のヨーロッパでは最悪の人道危機であった。

「ムスリム選手がほとんどいない」は歴史的複雑さの影響

このボスニア紛争の複雑さは、ボスニアで、クロアチア人の両親から生まれた小説家で、ユーゴスラビア唯一のノーベル文学賞受賞者であるイヴォ・アンドリッチの作品からもうかがえる。彼の作品に『ドリナの橋』という傑作がある。内容はこうだ。

オスマン帝国の宰相ソコルル・メフメト・パシャは16世紀はじめにボスニアのビシェグラードで生まれたキリスト教徒で、オスマン帝国に強制徴用され、イスラームに改宗、ついには大宰相の地位にまで昇りつめた。そこで彼は、自分の故郷の川に橋を建設する。彼は暗殺されるが、橋をめぐる人びとの生活は、橋に見守られながらつづいていく。しかし、第一次世界大戦でオーストリア軍がボスニアに進軍し、橋を破壊してしまう――というのが粗筋だ(実は橋はその後も何度か修復され、2007年にはUNESCOの世界遺産に指定された)。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

「ザラ」親会社、2月は予想通り9%増収 25年の利

ワールド

ペルシャ湾内で商船三井の船舶に衝撃、船尾に損傷 乗

ワールド

イラン、米・イスラエル関連の域内経済・銀行拠点をを

ワールド

豪、イラン女子サッカーチーム2人に追加で人道ビザ 
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのミュージカル入門
特集:教養としてのミュージカル入門
2026年3月17日号(3/10発売)

社会と時代を鮮烈に描き出すミュージカル。意外にポリティカルなエンタメの「魔力」を学ぶ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 3
    キャサリン皇太子妃、英連邦デー式典に出席...公開された皇太子夫妻の写真が話題に
  • 4
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 5
    「このままよりはマシだ」――なぜイランで米軍の攻撃…
  • 6
    40年以上ぶり...イスラエル戦闘機「F-35I」が、イラ…
  • 7
    「一日中見てられる...」元プロゴルファー女性の「目…
  • 8
    人間ダンサーを連れて「圧巻のパフォーマンス」...こ…
  • 9
    イランがドバイ国際空港にドローン攻撃...爆発の瞬間…
  • 10
    ホルムズ海峡封鎖、石油危機より怖い「肥料ショック」
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 3
    イラン猛反撃、同士討ちまで起きる防空戦はいつまで続くのか
  • 4
    キャサリン皇太子妃、英連邦デー式典に出席...公開さ…
  • 5
    【長期戦はイラン有利】米側の体制転覆シナリオに暗…
  • 6
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 7
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られ…
  • 8
    日本の保護者は自分と同じ「大卒」の教員に敬意を示…
  • 9
    中国はイランを見捨てた? イランの「同盟国」だっ…
  • 10
    中国、4隻目の空母は原子力艦か──世界3番目の原子力…
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 3
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 4
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...…
  • 5
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 6
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 7
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 8
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 9
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 10
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story