コラム

デモ、弾圧、論争、「卵巣に影響」...サウジが女性の運転を解禁するまで

2017年10月25日(水)18時39分

彼女たちやその家族にとって恐ろしいのは当局だけではない。むしろ、さまざまな社会的圧力が現実的な脅威となっていた。当時、モスクや大学では、彼女たちやその家族を誹謗中傷したり、身体的攻撃をそそのかしたりするような怪文書が出回っていた。彼女たちはすぐ釈放されたが、その後もつねに身の危険を感じていたはずである。

わたしは、この事件後しばらくしてデモに参加した女性たちとのコンタクトを試みたが、話を聞くことはできなかった。仲介してもらった人によれば、彼女たちはとにかく怖がって、とくに外国人との接触にはたいへん神経質になっており、頼むからもう連絡してくれるなという感じだったそうである。

態度を硬化させた内務省が「運転は許されない」と声明発表

また、悪いことにサウジ当局がこの事件でかえって頑なになってしまったのである。それまでもときどきサウジのメディアでは女性の運転を認めるべきとの論調が出ていたが、これらはいずれも政府の軟化を示すシグナルだとみなされてきた。しかし、この事件でサウジ内務省は一気に態度を硬化させ、女性の運転は許されないとの声明を発したのである。

サウジアラビアに女性の運転を禁ずる法律はないと前述したが、1990年のこの内務省声明が事実上の法律になってしまったのだ。

さて、そもそもなぜサウジアラビアでは女性の運転が許されないのだろうか。今紹介した内務省声明では、違反したものはシャリーアの要求に沿って適切に処罰されるとか、女性による車の運転はサウジ国民の特色たるイスラーム的に正しい行動に違反するといった文言がみられるが、けっしてイスラームの教義で禁止されているといっているわけではない。

ちなみにこの声明では、サウジの最高宗教権威である最高ウラマー会議(ウラマーとはイスラーム法学者などの宗教知識人を指す)のビンバーズ議長の「裁定」(フクム)が引用されている。このフクムが女性の自動車運転を禁止する内務省声明を宗教的に補足する役割を果たしているのだ。ビンバーズは、女性による車の運転は許されないとし、その根拠として女性が車を運転すれば、悪行につながると主張している。

このフクム、実は事件の「直前」に出されたものであった。つまり、デモ情報が事前に漏れていた可能性が高いのだ。実際、王族のなかにデモを認めていたものがいるのではないかとの説もあった。ちなみに、彼女たちの支援者として名前が挙がっていた王子の一人が、当時のリヤード州知事、つまり現在のサルマーン国王である。これはあくまで噂にすぎないが、仮に事実だとすれば、サルマーン国王は元から女性の運転に理解があったことになる。

時代錯誤・女性蔑視的な発言をする宗教者もいた

閑話休題。フクムにはいくつかクルアーンやハディースからの引用がある。ただ、当たり前だが、数百年もまえの啓典に女性の自動車運転を直接的に禁じる章句があるわけではない。ビンバーズが女性の運転を禁止する根拠として引用したのは、基本的に女性は親族以外の男性と同席するような場所に出向くべきではなく、慎み深い服装をして、なるべく家にいるべきという章句ばかりである。

それがなぜ運転禁止に結びつくかといえば、シャリーア(イスラーム法)では悪行(ラジーラ)にいたる原因はすべてこれを禁止しているからだそうだ。つまり、女性がみずから車を運転したりすれば、親族以外の男性と会ったり(ハルワやイフティラート)、ベールを外したり(ストゥール)する「悪行」につながる恐れがあるから、女性の車の運転も許されないというロジックである。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米新規失業保険申請件数、1万件減の21.4万件 継

ワールド

EU・仏・独が米を非難、元欧州委員らへのビザ発給禁

ビジネス

中国人民銀、為替の安定と緩和的金融政策の維持を強調

ワールド

ウクライナ和平の米提案をプーチン氏に説明、近く立場
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足度100%の作品も、アジア作品が大躍進
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...どこでも魚を養殖できる岡山理科大学の好適環境水
  • 4
    ジョンベネ・ラムジー殺害事件に新展開 父「これま…
  • 5
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者…
  • 6
    ゴキブリが大量発生、カニやロブスターが減少...観測…
  • 7
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 8
    ノルウェーの海岸で金属探知機が掘り当てた、1200年…
  • 9
    【投資信託】オルカンだけでいいの? 2025年の人気ラ…
  • 10
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 1
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 2
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低く、健康不安もあるのに働く高齢者たち
  • 3
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開したAI生成のクリスマス広告に批判殺到
  • 4
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 5
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 6
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 7
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 8
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 8
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story