- HOME
- コラム
- イスラーム世界の現在形
- イラクがこんな時期に「酒禁止法」可決の謎
イラクがこんな時期に「酒禁止法」可決の謎
Azad Lashkari-REUTERS
<北東部でイスラーム国(IS)からモスルを奪還する作戦が進行中のイラクで、アルコール飲料の輸入・製造・販売を禁止する法律が可決された。なぜ今? なんのために?> (写真は2010年、クルド人自治区のアルビルで酒を売る店)
イラク国会は10月22日、あらゆる種類のアルコール飲料の輸入・製造・販売を禁止する条項を含む法律を可決した。違反した場合は1000万から2500万イラク・ディーナール(ID)の罰金だそうだ。日本円では90万円から220万円とかなり大きな金額である。
このニュースをみた最初の感想は「イラクよ、おまえもか」だった。わたしは、ほとんどお酒は飲まないので、別にイラクでお酒を飲めなくなること自体を嘆いているわけではない。イラクのような、かつては世俗的な国の代表だったところまでが、わざわざ法律で禁酒を決めなければならないことを残念がっているのである。
【参考記事】よみがえった「サウジがポケモンを禁止」報道
1980年代末からイラクのお隣の禁酒国クウェートに住んでいたので、(もう時効でしょうからいうけど)イラクから持ち込まれるお酒はたいへん貴重なものであった。クウェートではもちろん酒類はご法度である。当然、密輸で持ち込まれるのだが、1970年代までは、たとえばウイスキーだとウェット・ウイスキーとドライ・ウイスキーというのがあって、後者のほうが少し高価とされていた。前者は、比較的自由に酒が入手できた革命前のイランから密輸されるウイスキー。ペルシア湾の海上にウイスキーのビンを詰めた箱を落として、それをクウェート側からきた密輸業者が回収するというもので、だからウェットと呼ばれていた。安いのは、海水に濡れて、ラベルが剥がれたりするためだと説明される。一方、ドライ・ウイスキーはイラクから沙漠経由でもたらされるものである。
1990年8月、イラク軍がクウェートに侵攻、あっという間に併合してしまった。世にいう湾岸危機である。イラクがクウェートを併合した直後、わたしの勤務先にイラク南部のバスラからパレスチナ人がやってきた。何とビールを売りにきたのである。クウェートはイラク領になったので、クウェートの法律は無効になったということなんだろう。怖くて買えなかったが、戦争だというのに、暢気に商売をしにくるパレスチナ人のバイタリティーには驚かされた。
酒が買えないなら、自分で造ってやろう、ということで、酒を密造する猛者も少なくなかった。もうすでにあちこちで書かれているので、ばらしてもいいと思うが、クウェートやサウジアラビアで操業していたアラビア石油の「カフジ正宗」は、在留邦人であれば、知らない人はいない銘酒であった。さすが優秀な化学者をそろえた企業だけあって、味はともかく、目がつぶれたり、お腹を壊したりすることのない立派なアルコールだった。一部のホームセンターには、ワインやビールをつくるセットを売っていたりして(ただし、アルコールや酵母は売ってない)、おそらく個人でもいろいろがんばっている人は多かったのだろう。文字どおり、涙ぐましい努力である。
アントニオ猪木、歴史に埋もれたイラクでの「発言」 2022.11.14
研究者の死後、蔵書はどう処分されるのか──の、3つの後日談 2022.07.28
中東専門家が見た東京五輪、イスラエルvsイスラーム諸国 2021.08.16
日本人が知らない、社会問題を笑い飛ばすサウジの過激番組『ターシュ・マー・ターシュ』 2021.06.02
トルコ宗務庁がトルコの有名なお土産「ナザール・ボンジュウ」を許されないとした理由 2021.02.25