コラム

イラクがこんな時期に「酒禁止法」可決の謎

2016年10月27日(木)20時40分

Azad Lashkari-REUTERS

<北東部でイスラーム国(IS)からモスルを奪還する作戦が進行中のイラクで、アルコール飲料の輸入・製造・販売を禁止する法律が可決された。なぜ今? なんのために?> (写真は2010年、クルド人自治区のアルビルで酒を売る店)

 イラク国会は10月22日、あらゆる種類のアルコール飲料の輸入・製造・販売を禁止する条項を含む法律を可決した。違反した場合は1000万から2500万イラク・ディーナール(ID)の罰金だそうだ。日本円では90万円から220万円とかなり大きな金額である。

 このニュースをみた最初の感想は「イラクよ、おまえもか」だった。わたしは、ほとんどお酒は飲まないので、別にイラクでお酒を飲めなくなること自体を嘆いているわけではない。イラクのような、かつては世俗的な国の代表だったところまでが、わざわざ法律で禁酒を決めなければならないことを残念がっているのである。

【参考記事】よみがえった「サウジがポケモンを禁止」報道

 1980年代末からイラクのお隣の禁酒国クウェートに住んでいたので、(もう時効でしょうからいうけど)イラクから持ち込まれるお酒はたいへん貴重なものであった。クウェートではもちろん酒類はご法度である。当然、密輸で持ち込まれるのだが、1970年代までは、たとえばウイスキーだとウェット・ウイスキーとドライ・ウイスキーというのがあって、後者のほうが少し高価とされていた。前者は、比較的自由に酒が入手できた革命前のイランから密輸されるウイスキー。ペルシア湾の海上にウイスキーのビンを詰めた箱を落として、それをクウェート側からきた密輸業者が回収するというもので、だからウェットと呼ばれていた。安いのは、海水に濡れて、ラベルが剥がれたりするためだと説明される。一方、ドライ・ウイスキーはイラクから沙漠経由でもたらされるものである。

 1990年8月、イラク軍がクウェートに侵攻、あっという間に併合してしまった。世にいう湾岸危機である。イラクがクウェートを併合した直後、わたしの勤務先にイラク南部のバスラからパレスチナ人がやってきた。何とビールを売りにきたのである。クウェートはイラク領になったので、クウェートの法律は無効になったということなんだろう。怖くて買えなかったが、戦争だというのに、暢気に商売をしにくるパレスチナ人のバイタリティーには驚かされた。

 酒が買えないなら、自分で造ってやろう、ということで、酒を密造する猛者も少なくなかった。もうすでにあちこちで書かれているので、ばらしてもいいと思うが、クウェートやサウジアラビアで操業していたアラビア石油の「カフジ正宗」は、在留邦人であれば、知らない人はいない銘酒であった。さすが優秀な化学者をそろえた企業だけあって、味はともかく、目がつぶれたり、お腹を壊したりすることのない立派なアルコールだった。一部のホームセンターには、ワインやビールをつくるセットを売っていたりして(ただし、アルコールや酵母は売ってない)、おそらく個人でもいろいろがんばっている人は多かったのだろう。文字どおり、涙ぐましい努力である。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

豪ボンダイビーチ銃撃、容疑者親子の軍事訓練示す証拠

ビジネス

英BP、豪ウッドサイドCEOを次期トップに任命 現

ワールド

アルゼンチンの長期外貨建て格付け「CCC+」に引き

ビジネス

日経平均は反落で寄り付く、米ハイテク株安受け半導体
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 5
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 6
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 7
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 8
    【銘柄】「日の丸造船」復権へ...国策で関連銘柄が軒…
  • 9
    9歳の娘が「一晩で別人に」...母娘が送った「地獄の…
  • 10
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 4
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 5
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 6
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 7
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 8
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 9
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 10
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story