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アングル:婚前交渉で逮捕も、おびえるインドネシアの性的少数者

2023年01月16日(月)15時14分

 1月11日、トランスジェンダーのインドネシア人女性、チカ・アナンダ・プトリさん(写真)は、自分のジェンダー・アイデンティティ(性自認)を理由に危険が及ぶ可能性に怯えながら日々を過ごしているという。写真はジャカルタで昨年12月撮影(2023年 ロイター/Ajeng Dinar Ulfiana)

By Stanley Widianto

[11日 ロイター] - 出生時と異なる性別を自認するトランスジェンダーのインドネシア人女性、チカ・アナンダ・プトリさん。ジャカルタのスラム街にある老朽化した借家で、自分のジェンダー・アイデンティティ(性自認)を理由に危険が及ぶ可能性に怯えながら日々を過ごしているという。

総人口のうちイスラム教徒が占める割合が最も大きく、民主主義国家では世界3位の人口数を誇るインドネシアでは先月、婚前・婚外交渉や同棲に懲役刑を科す刑法改正案が可決された。チカさんにとって、まさに悪夢が現実となった瞬間だった。

「投獄されるのが怖い」と、28歳のチカさんはいう。ストリートパフォーマーの彼女は、仕事のために近くの街まで通勤する必要がある。同性婚が認められていない同国において、パートナーと同棲していることが見つかってしまうことを恐れているという。

改正法は3年後に発効される。それ以降、未婚カップルは警察に通報される恐れにさらされ続ける生活を送ることになる。すでに宗教保守派からの圧力を受けている性的少数者(LGBT)カップルは、とりわけ危険と隣り合わせになる。

改正法の下では、違反を報告できるのは配偶者か親、もしくは子どもに限られている。だが専門家らや人権団体は、好ましく思わないコミュニティの排除を望む人々に悪用される恐れがあるとして警鐘を鳴らしている。

改正法は「交際を認めない家族によって通報される可能性がより高いLGBTの人々に大きな影響を与えるだろう」と、米ニューヨークが拠点の国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は見解を示した。

インドネシアで初めてトランスジェンダーであることを公表して公職についたヘンドリカ・マヨラ・ビクトリア・ケラン氏は、今回の改正法が潜在的な同性愛嫌悪やトランスジェンダーへの嫌悪を表面化させ、結婚する権利を持たない人々をさらなる危険さらす可能性があると警告している。

「今回の改正案は嫌悪の連鎖を断つことに貢献していない。人々の寝室にまで介入する国の規制は行き過ぎだ」

政府当局者らは、警察による強制捜査やモラルを振りかざす活動家らによる密告は、通報できる人を制限することで防止できると話す。

「対象外の人は通報できないし、状況を決めつけることすらしてはならない」と先月、法改正を担当した政府のタスクフォースの報道官は語った。

「対象者、あるいは直接被害を受けた人の通報がなければ、法的手続きが始まることはない」

法務人権省関係者らは、コメントの求めに応じなかった。

<昔ながらの価値観>

インドネシアでは同性愛はタブー視されているが、超保守派のアチェ州以外では違法ではない。

性自認が時と共に変わるジェンダー・フルイドの人々は、かねてより社会の一員として受け入れられてきた。例えば、スラウェシ島に住むブギス族においては、古くから5種類の性別が存在する。このうち1つは、男性や女性を「超越」、あるいは融合させた性別だとされている。

だがイスラム保守派の台頭により、LGBTに対する迫害は強まっている。

「この3年間、LGBT市民が被害者の事件件数が毎年増加している」とLGBT人権擁護団体レインボー潮流は12月に明らかにした。2022年には、こうした事件が前年比で90%増の90件以上報告されたという。

「刑法改正案の制定でLGBTの被害者が増える可能性は考えられる」と、同団体は指摘した。

LGBTは以前から迫害されてきたが、法改正を受けて自警行為や警察による強制捜査、法の乱用が増える恐れがあると、インドネシア・ジェンテラ法科大学のビビトリ・スサンティ氏は語る。

「かつては不道徳であるとして済まされていたことが、今は違法となった。これによって彼らの命はより危険にさらされることとなるだろう」と指摘した。

また慣習法のある条項も人々の懸念を深める要因となっている。この条項はイスラム法(シャリーア)の要素を含んだ地方規則が他地域でも制定されることにつながりかねず、女性やLGBTに対する差別の助長につながるとの懸念の声が上がっている。

「女性」と「男性」を意味する言葉を合体させた造語「ワリア」は、同国のトランスジェンダー女性が自身を表現する際によく使う言葉だ。多くの「ワリア」同様、チカさんもトラブルに何度も巻き込まれたことがあるという。

現在住んでいるスラム街で数年前、トランスジェンダーの隣人がいるせいで火事が起きたと言い張る住人がいた。そのトランスジェンダーの住人らは不当にも街を追い出されてしまった──。そう語るチカさんの声は震えていた。

色鮮やかな布で彩られた借家。マットレスに座りギターを弾く恋人の横でチカさんは、乱用はないと政府が保証したとしても、改正法が意味するものに途方に暮れずにはいられないと明かした。

逮捕に抵抗する術はなく、「何か起これば、諦めるしかない」と吐露した。

ロイター
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