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焦点:「スーツ」はコロナ禍を生き残れるか、ビジネスウエア苦境
写真は8日、伊ビエッラにある製織企業ラニフィチオ・ボット・ジュゼッペで取材に応じるマネージングディレクターのシルビオ・ボットポアラ氏(2020年 ロイター/Flavio Lo Scalzo)
[ミラノ/シドニー/ロンドン 15日 ロイター] - イタリアの高級服デザイナー、ブルネロ・クチネッリ氏は、最高7000ユーロ(8200米ドル、約84万3000円)もするメンズスーツを作っている。だがその彼でさえ、世界中の大半の人と同じように、ここ数ヶ月スーツを着ていない。ましてや、買うなどもってのほかだ。
「誰もが家に閉じこめられていた。3月以来、ジャケットを着るのはこれが初めてだ」 9月にミラノで最新のコレクションを発表したクチネッリ氏は、ライトグレーのブレザーを身にまとい、ロイターの取材にそう答えた。
いわゆる「ホワイトカラー」労働者のほとんどは在宅で仕事をしており、新たにお気に入りになったのはスウェットパンツだ。一部の専門家は、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)が終息した後も在宅勤務のトレンドは生き残るのではないかと予測している。結婚式やパーティもいまだに、皆無とは言わないまでも、ほとんど行われていない。
行動様式の劇的な変化は、スーツやフォーマルウェアのサプライチェーン全体に甚大な影響を与えており、すべての大陸にまたがるファッション産業を混乱に陥れている。
メリノウール生産量世界首位のオーストラリアでは、ウール価格が急落し、数十年ぶりの低水準に沈んでいる。牧羊業者は厳しい苦境に追い込まれ、価格回復を願いつつ、空きスペースを探してはウールの在庫を積み上げている。
牧羊業者からウールを買い取り、高級スーツの生地を織り上げるのは北部イタリアの工場だ。ここでもアパレル小売企業からの注文が急減している。
米国・欧州では、ここ数ヶ月のあいだにメンズウェアハウスやブルックスブラザーズ、TMルーウィンなど、ビジネスウェアを得意とする複数のアパレル小売チェーンが、店舗閉鎖や経営破綻に追い込まれており、その流れはさらに続く可能性がある。
サプライチェーンのあらゆる段階の業者が、ロイターの取材に対し、生き残るための適応を強いられていると語っている。牧羊業者は他の農業形態に転換し、製織工場は、しわになりにくく汚れに強い新世代のスーツに向けて、伸縮性の高い生地を製造するようになっている。
イタリアの繊維工業の中心地であるビエッラにある製織企業ラニフィチオ・ボット・ジュゼッペでマネージングディレクターを務めるシルビオ・ボットポアラ氏は「皆、もっと楽な服を着たがり、フォーマルなスーツを着る気分になっていない」と語る。同社はアルマーニ、マックスマーラ、ラルフローレン、エルメスなどを顧客としている。
「ズームでの会議などITを駆使した働き方になると、男性はワイシャツを着て、まあネクタイくらいはするかもしれないが、あまりスーツは着ないだろう」
<苦闘するメリノウール生産者>
オーストラリアの高級ウール価格は新型コロナにさいまれた過去18ヶ月間で半分以下に下落した。通常ならばイタリアの製織工場がメリノウールを安定して購入してくれるのに、それがほぼ停止状態にあるからだ。
入札結果を見ると、2019年初めにはキロ当たり20.16豪ドルだったメリノウールの基準価格は、9月初めには1キロ当たり8.58豪ドル(6.1米ドル)まで下落した。その後はやや回復したものの、辛うじて10豪ドルを上回る程度だ。
ニューサウスウェールズ州の企業ニューイングランド・ウールは、イタリアの繊維メーカー向けのウールを地元の牧羊業者から調達している。同社マネージングディレクターのアンドリュー・ブランチ氏は、多くのバイヤーにとって供給過剰となっているのが現状だと話す。
シドニー西部の郊外にあるウール卸売市場で電話インタビューに応じたブランチ氏は、「彼らがすでに手許に抱えているウールを使い切るまでは、そもそも豪州市場に戻ってくることさえないだろう」
「小売店が開かなければ、すべてが滞ってしまう。注文に応じるためにウールを調達したのに、その注文の多くが米国や欧州全域のクライアントによってキャンセルされてしまった」
ブランチ氏によれば、オーストラリアのウール輸出額は年間30億豪ドルを超えるが、イタリアと並んでその大半を購入しているのは中国で、今となっては市場に残っている唯一の買い手だという。だが、その中国のバイヤーも、ウール購入量を減らしている。
メリノ種の羊を飼育する牧羊業者の多くは、生産したウールを納屋や倉庫施設に貯め込んでいる。もっとも、3年続いた干ばつからようやく回復しつつある牧羊業者のなかには、市場の値崩れにもかかわらずウールを売却し、何とか資金繰りを維持しているところもある。
「刈込んだ羊毛を抱え込んで価格回復を待てるような大規模なところばかりではない」と語るのは、ニューサウスウェールズ州のヤスという街の近郊で牧羊業を営むデイブ・ヤング氏。「私たちは、刈込みのあと比較的早いうちに市場に出荷せざるをえない立場にある」
ヤング氏の牧場では約4500頭の羊を飼育しているが、事業の一部を羊毛ではなくラム肉の供給に切り替えたという。
<ウール製織工場の憂鬱>
羊毛を生地に仕立てているイタリア北部の業者の状況を見てみよう。ボットポアラ氏は、自社の売上高が昨年の6300万ユーロから25%減少すると予想しており、回復には2~3年を要すると見込んでいる。
彼のビジネスはもっぱら婦人服用の生地を製造しているおかげで影響をある程度免れている。同業他社はもっと悲観的だ。
数世紀にわたる歴史を持つ年商5200万ユーロの同族企業フラテッリ・ピアチェンツァで総支配人の座にあるエットーレ・ピアチェンツァ氏は、「一部の事業については、売上高が50~80%落ちている」と話す。同氏は地元経済団体で製織産業部門のトップも務めている。
ボットポーラ氏によれば、彼の工場の売上高の50%以上は、特殊な方法で処理するか化学繊維のライクラを混合することによって伸縮性を高めたウールによるものだという。
というのも、製織工場関係者によれば、仮に少しでもスーツ生地への需要が残っているとすれば、汚れに強くしわになりにくい生地が求められる可能性が高く、他方でそうした生地はカジュアルウェアにも使えるからだ。
たとえばイタリアの高級服ブランドのエトロは、先日、ジャージ生地とウール・綿混紡の素材を使った「24時間ジャケット」を発売したばかりだ。
<「クライアントはパジャマ姿」>
徐々にカジュアルウェアに移行していく動きは、ここ数年にわたって進んでいた。2019年には、オーダーメイドのスーツ姿がひしめくことで有名なゴールドマン・サックスでさえ、社員のドレスコードを緩和した。シリコンバレーに集まる人々の個性あふれるファッションスタイルについてはご存知のとおりだ。
だが、こうした変化をいっそう加速したのはCOVID-19(新型コロナ感染症)である。ビジネスウェアの苦境を尻目に、ゆったりとした衣類やスポーツウェアは売上高を伸ばしている。
1ヶ月に900万人以上のオンライン購入者の行動を分析しているグローバルなファッション検索サイトであるLyst(リスト)によれば、世界の大半がロックダウン状態となった今年第2四半期、最も多く検索されたブランドはナイキだったという。
注目ブランドと商品のランキングを示す「Lyst Index」が誕生して以来、高級ファッションブランドが首位にならなかったのは今回が初めてだった。
8月1日までの3ヶ月間で、Lystで最も人気の商品とされたシリーズは、ギャップ傘下でタイツやジョギングパンツ、スウェットシャツやワークアウト用のトップスを販売する「アスリータ」だった。
ウェブサイト上の価格を調査しているスタイルセージがまとめたデータによれば、フランス、イタリア、ドイツで9月に最も値引率が高く、売上が伸びなかったアイテムの1つがスーツである。
最も値引率が高かったのはエイソス、トップマン、ゲス、ヒューゴボスといった低・中価格帯のレーベルで、最大で50%にも達した。
ビジネスウェアに対する需要の崩壊により、この夏はジョス・エー・バンク、ジェイクルーまで含む著名なアパレル小売企業が破産を申請し、他の多くも不確かな未来に直面している。
小売りコンサルタント企業のコアサイト・リサーチの予測では、米国では2万~2万5000店が年末までに閉店する可能性があるという。2019年には約9800店だった。
ロンドンの法律事務所メイヤーブラウンのパートナーであるジェームス・ウィテカー氏は、「正直なところ、今年はまったくビジネスウェアを買っていない。実際、シティを歩いていてもスーツのディスプレイを見かけることは少ない」と話す。
男性向けのオーダーメイド・ファッションで有名なロンドンの通りサビルロウで腕を磨いたテーラー、ジャスパー・リットマン氏にとっても、ロックダウンが終った後でさえ、ビジネスは「非常に不調」だという。
リットマン氏によれば、弁護士やバンカーを中心とするクライアントは「パジャマ姿で、家で仕事をしている」という。
例年なら年間約200着のスーツを仕立てるリットマン氏だが、2020年は、これまでのところ63着に留まっている。
前金を払ってすでに出来上がったスーツでさえ、顧客はわざわざ電車に乗って引き取りに来ることをためらっている。
「そんなことをする意味は無い。着る可能性のないスーツなら届けてもらう方がいい」
(Silvia Aloisi記者、 Jonathan Barrett記者、Martinne Geller記者、 翻訳:エァクレーレン)