加害と向き合えない小山田圭吾君へ──二度と君の音楽は聴きません。元いじめられっ子からの手紙
戦後、ユダヤ人迫害の罪で法廷に立たされたナチスの幹部は口々に「当時はああいう時代だった、そういう雰囲気だった」と抗弁した。その抗弁が人道上通用しないと考えるなら、小山田の行為は時を経ても断罪されるべきである。現在でもユダヤ人や元中国人捕虜に対して「現代の感覚で当時を裁いてはならないのであり~」などと言えるものは居ないだろう。加害の立場にあっての暴力犯罪は普遍的な悪である。
小山田の加害の罪は消えない。「謝っているからよい」という人もいるが、今次問題が出るまで小山田から被害者への謝罪はひとつでもあったのか。小山田は加害者感情などなんら痛痒することなく音楽活動でのしあがってきた人間である。私は鬼畜の所業を行った小山田の音楽など二度と聞かない。周りの人間にも小山田が如何に鬼畜であるかを広める運動を展開する。
最終的に雑誌掲載へのGO出したのは小山田氏
「雑誌のインタビューにあってはそれが全部本当とは限らない」という抗弁も、雑誌というカルチャーの重さをまるで分っていない。著者や作者へのインタビューは原則、ライターがまとめて修正箇所をインタビューした本人にチェックしてもらう。そこでGOを出すのはライターではなくインタビューされた本人だ。まずよし、そこにライターや編集長の判断で誇張があったとしよう。であるならば小山田は今次の謝罪声明で「謝罪はするが、具体的にはA箇所とB箇所などは事実ではなく悪ノリで誇張したものであった」とするべきであるが、そんなものは一切出ていないではないか。
93、94年当時の読者も誌面を額面通りに読む。インタビュー誌面が全部誇張なら、雑誌文化におけるインタビューというのは全部創作であると開き直る事も可能だ。だから私も、音楽雑誌ではないが、様々な雑誌にインタビューが載るとき、その校正には細心の注意を払う。年月日が正しいか、自分は本当にそういうことをやったのか。人間関係の認識は正しかったのか。一度発表されてしまったインタビュー誌面に「手心を加えて読め」というのはカルチャー領域側の傲慢である。最終的にGOをだしたのは小山田なのだ。
とはいえ、それでもサービス精神でインタビュー当時に話を若干「盛って」構成したのかもしれない。たしかにインタビューで平凡なことを言っても面白くはないので、こういう作りにすることはよくある。そこで小山田の犯罪行為を50%減じるのだから良いとしよう。しかしこれも所謂「歴史修正主義者の詭弁」とまるで同じなのだ。「ナチスはユダヤ人迫害をやったが、少なくともポーランド方面で600万人は殺していない。せいぜいが200万人である」とか、「南京事件での死者数30万人は誇張しすぎ。せいぜいが3~5万人である」とかいうのが、ネット右翼を中心とする歴史修正主義者のよく使う詭弁である。
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