コラム

ロシアの脅威が生んだ「強いドイツ」問題

2022年04月11日(月)14時22分

ドイツ政府は、このイメージの払拭に努めた。その一つが「歴史政策」だ。これを現在の日本政府が進めている「歴史戦」と混同してはならない。日本の「歴史戦」は過去の侵略戦争の否認だが、ドイツの「歴史政策」は、過去のナチスドイツの犯罪を自らのものとして認め、反省の姿勢を強調するというものだ。2004年、連合国のノルマンディー上陸記念式典にドイツ首相として初めて参加したゲアハルト・シュレーダーは、ナチスドイツの犯罪の記憶と反省は、ドイツ国家の「アイデンティティの一部」であると演説している。

1999年のコソヴォ紛争では、ドイツはNATOの一部として第二次大戦以降初めて戦闘に参加した。NATO軍によるコソヴォ空爆は人道目的での介入であったが、国際法上の根拠は不十分であり、また民間人にも多くの犠牲者を出す手法をとったので、国内外で大きく批判された。しかしこの空爆によって、他の戦争参加国との信頼関係が醸成されたことから、ドイツの安全保障上のプレゼンスは高まった。

警戒される国から期待される国へ

1990年前後に民主化し、EUやNATOへの加盟を果たしていく東欧諸国は、次第にドイツよりもロシアを警戒するようになった。エリツィン政権下の1990年代は政治的にも経済的にも混迷の時代だったロシアは、プーチン政権の誕生とともに急速な経済成長をみせ、また政治的には権威主義化が進んだ。再び大国化するロシアは東欧諸国にとって脅威であり、ソ連時代のトラウマを思い起こさせた。

冷戦終結後、東の軍事同盟であったワルシャワ条約機構は解体したにもかかわらず、西の軍事同盟であるNATOは残った。はっきりした敵がいなくなったNATOの方針をめぐって、新規加盟国たる東欧諸国と従来の加盟国たる西欧諸国の間には温度差があったといわれている。東欧諸国はNATOの軍事力をロシアの抑止に使いたがったが、ドイツを含む西欧諸国は消極的だったのだ。西欧諸国に対する東欧諸国の苛立ちは今に始まったことではなく、長年に渡って累積してきたものだといえる。

責任を負いたくなかったドイツ


対ロシアのための安全保障にドイツも貢献してほしいという期待を、当のドイツはどう受け止めていたのだろうか。ドイツにとって1990年以降のロシアは、もちろん政治的に常に蜜月であるとはいえないまでも、概ね脅威ではなく重要な経済パートナーだったといえる。安全保障に関してはドイツとロシアは国境を接していない一方、ロシアの天然ガスはドイツにとって重要なエネルギー資源だった。殊更にロシアを刺激することはドイツにとって得策ではないというのが、中道右派、中道左派問わず、歴代政権の方針だったといえよう。これはドイツ経済にとっては全く合理的な政策であったが、結果としてこのような戦争を招くに至り、シュレーダーやメルケルへの批判が高まってしまっている。

プロフィール

藤崎剛人

(ふじさき・まさと) 批評家、非常勤講師
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿。訳書にラインハルト・メーリング『カール・シュミット入門 ―― 思想・状況・人物像』(書肆心水、2022年)など。
X ID:@hokusyu1982

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