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タリバンを野蛮と切り捨てる危うさ
2001年から始まるアメリカ軍侵攻に始まるアフガニスタンの混乱、いやさらに遡れば1979年のソ連軍侵攻に始まる無秩序がアフガニスタンの人々にとっての最大の苦悩だったとき、ターリバーンはそうした人々に、内容はともかく、一つの秩序を与えることに成功した。さらにその秩序は、多くのアフガニスタンの人々にとっての伝統的な生活に即していたのであった。
しかしその秩序の中には、女性差別や泥棒の手を切り落とすといった反人権的な「因襲」も含まれているのだ。女性への暴力や抑圧は旧政府時代から多発しており、2014年には事実上、家庭内の暴力について告発を無力化するような法律が可決されている。構造的暴力は2001年からずっと解消されていなかったといえる。ターリバーンを過度に原理主義的なテロ集団とみなす視点は、こうした構造的問題を見落としてしまう可能性がある。
反普遍主義者の同盟
人権や自由、平等、個人の尊重といった、普遍的価値観を苦々しく思う勢力は、どの国にもいる。たとえば日本にも女性に教育は必要ないとする価値観はあって、それが先進国には珍しい大学進学率の男女格差や、医学部や都立高校などで明らかになった入試差別となって現れている。こうした反普遍主義的な価値という点で括るなら、ターリバーンの政治は各国の保守・右派勢力が期待するものと似通ってくる。
ターリバーンのような勢力と、先進国の政治的右派を反普遍主義という立場でまとめるのは、けして無根拠な仮定ではない。海外報道によれば、現在、欧米の右翼の中でターリバーンへの評価が高まっているという。それはターリバーンの勝利が、アメリカ及び「国際ユダヤの陰謀」の敗北を意味するからだというのだ。
欧米の右翼といえば、反イスラームを旗印に、ムスリムの移民や難民の排斥運動を行なっているというイメージが強い。しかし大抵の右翼なるものは、自分たちの文化規範に従わない余所者だけでなく、普遍主義を「押し付ける」アメリカのグローバリズムについても脅威に感じている。その際、自分たちとは直接関わらない、遠き大地のイスラーム主義と共闘することは吝かではないのだ。
差別を暴力で押さえ込むことは難しい
しかしこうした差別主義の同盟に対して、曲がりなりにも「グローバル」な価値観をアフガニスタンに植え付けようとしたアメリカが正しかったわけでもない。旧ターリバーン政権を崩壊に至らしめたアメリカのアフガニスタン侵攻は、アル・カイーダに対する報復戦争だった。この戦争によって、アメリカ同時多発テロでの死者約3000人の10倍以上のアフガニスタンの民間人が死亡し、さらにその100倍の難民が生まれた。
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