コラム

歌舞伎町案内人とバレエの不思議な関係

2009年06月15日(月)15時06分

今週のコラムニスト:李小牧

 ある平日の夜。私は仕事を抜け出し、新宿・歌舞伎町から愛車の白いベンツを飛ばして目黒の某所に向かう。2時間から3時間、近くの喫茶店でたばこをくゆらせながら時間をつぶし、その人がやって来るのを待っている――。

 ロマンチックな想像をした人がいるかもしれないが、残念ながらそうではない。「その人」は、私の3番目の妻との間に生まれた長男。15歳の彼は今、目黒にある名門バレエ団に通っていて、たまに「パパ」が送り迎えするのだ。

 彼は3歳から地域の教室でバレエを習い始め、2年前から今のバレエ団でレッスンを受けている。彼にバレエを習わせると決めたのは、ほかでもない私。ちなみに4番目の妻との間に生まれた1歳の男の子も、3歳になったら必ずバレエを習わせることにしている。

 歌舞伎町案内人とバレエという組み合わせは意外に思うかもしれないが、よーくこのコラムの一番下を見てほしい。プロフィールに「バレエダンサー」とあるはずだ。そう、李小牧はかつて中国湖南省湘潭市歌舞団所属のバレエダンサーだった。

■「革命バレエ」に捧げた青春

 文化大革命まっただ中の1973年、13歳だった私は故郷・長沙市の隣町の湘潭市歌舞団に入団した。両親が私を歌舞団に入れようとしたのは、歌舞団に入れば農村へ「下放」されないですむと考えたからだった。

 当時はあの毛沢東夫人の江青がつくった国家最高レベルの芸術教育機関「中央五七芸術大学」のほか、軍や各省、市政府が文革のすばらしさを「革命バレエ」で宣伝する歌舞団を抱えていて、公演の先々でオーディションが開かれていた。人前で歌ったり踊ったりするのが大好きで、小学校の劇ではいつも主役だった私も当然このオーディションに参加した。

 ところがどの歌舞団のオーディションでも、踊りや体型チェックは問題ないのだが最終審査で落とされる。最終審査は「政治審査」で、母の前の夫が国民党員だったことが「出身が悪い」とされたのだ。

 ようやく入団を認めてくれたのが、「出身は問わない」と言ってくれた湘潭市歌舞団だった。文革中、歌舞団のダンサーはエリート中のエリートで、食糧切符はスポーツ選手と同じだけ、月給だって父が30元だったころに18元ももらえたし、着るものは私服にいたるまで国から支給された。

 もちろん生活は厳しかった。革命バレエといってもレッスンはクラシックで、朝5時には始まる。夜は普通の勉強もやらないといけない。身体が固いほうだったので、21歳で退団するまでつらくて痛い日々が続いた。でも、バレエで学んだことが今の自分の中で生きていると感じることがある。

■人生という舞台を踊れば

 歌舞伎町に立っているときは、頭の上からつま先、指先まで神経を張りつめて美しく見えるように接客しているし、遠くにいる仲間の案内人の声が聞こえなくても、その身振り手振りと客の顔を見ているだけで、何を話しているか理解できる。広い舞台で仲間の動きを感じ取るダンサー特有の広い視野ゆえだ。

 歌舞団を辞めたあとファッションを勉強したのも、カラフルなネオンで輝く歌舞伎町を仕事場に選んだのも(笑)、バレエで学んだ「美」を追求する意識からといっていい。

 中国でもそうだが、日本でもまだまだバレエは誤解されている。特に男がバレエをすることにまったく理解がない。踊りながら頭をフル回転させるバレエはバカではできないし、何より美しい中身がなければ、見た目や外見は美しく輝かない。

 日本人はぜひ何かダンスを習うべきだ。固い頭と身体が柔らかくなるし、何より表現が豊かになる。習う時間がなければ、気持ちだけでもいい。踊るつもりになって生きるだけで人生が楽しくなる。特に国会という最高の舞台のダンサーである政治家の皆さんにお薦めしたい。考え方が柔軟になって、きっと世襲もやめるに違いない(笑)。

 私自身は今も歌舞伎町というすばらしい舞台で踊るダンサーのつもりだ。あなたが人生を踊る楽しさに目覚めたら、ぜひ歌舞伎町に来て声をかけてほしい。今も2回は回れるバレエの回転技を特別に披露させていただく(笑)。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

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