コラム

アマゾンの出版破壊から取り残された日本

2012年03月21日(水)14時13分

 日本人は今も「自炊」をしていると聞くたびに、気の毒で仕方がない。台所での自炊ではない。プリント版の書籍を自分で1ページずつスキャンしてデジタルファイルにし、自家製「電子書籍」として利用することを業界関係者は自嘲気味に「自炊」と呼んでいる。テクノロジー先進国の日本で本当に起きているとは思えない、実に奇妙なできごとだ。

 そしてそれを考えるたびに、アメリカでアマゾンがやっている文字通りの出版業界の破壊というか、破壊的イノベーションを思わずにはいられない。振り返ってみると、アマゾンは今やアメリカの出版産業をすっかり変えてしまっているからだ。

 最初は、もちろんインターネットで書籍を販売することだった。書店を含め、これだけでもかなり大きなインパクトがあったが、電子書籍時代になって、間違いなくそれが加速化しているのだ。

 たとえば、かなり安い価格で電子書籍を売り出したこと。また、自費出版したい作家たちに、表紙とテキスト・ファイルをアップロードするだけで、すぐに本ができるプラットフォームを与えたこと。そこで、70%もの印税を提供したこと。

 そこから、さらに次の動きが起こった。それは、従来の出版社から本を出していた作家たちの中から、そのプラットフォームへ移る人々が出てきたことだ。そうすると、今度はアマゾン自体が出版社になるということが起こった。現在、アマゾンにはロマンス、フィクション、ミステリー、都市神話的作品、海外作品など、6つのインプリント(出版ブランド)がある。

 さらにそこから、作家たちに自分のホームページを与えるというしくみもできた。アマゾンから出版していようといまいと、著者であればアマゾンでホームページを開いて、読者にアピールできる。これは、表向きにはホームページだが、実際は作家が自分の著作がどの地方でどれだけ売れたかを、リアルタイムでモニターできるしくみである。それまでは出版社が握っていたデータを、著者自身が見られるようになったのだ。作家だって自分の本の売れ行きは気になるだろう。このしくみは、大層ありがたがられているようだ。

 最近の動きは、もっと意外だ。電子書籍の貸本もそのひとつである。アマゾンの電子書籍リーダーのキンドルや、タブレットのキンドルファイアを持っていて、さらに配送費優遇を受けるプライム会員になれば(会費年間79ドル)、10万冊の本から、毎月1冊を無料で借りられるのだ。いろいろ制限があるとは言え、これはもうちょっとした図書館である。

 印刷もやる。アマゾンは全米の配送センターにあるプリント・オンデマンドという機械に電子ファイルを送信すれば、その場で印刷と造本までしてくれる。出版社に在庫がないような本などは、ここで印刷すれば待ち時間も短くなる。そもそもアマゾンには、注文された商品を注文者から最も近いセンターをはじき出してそこから配送するシステムを持っているのだが、書籍も同じように自分の家から一番近い配送センターで印刷されていたりするのである。

 これまで書籍は、出版社が編集して、印刷所が印刷と造本をし、流通業者が配送するものだとされていたが、その区切りがすっかり崩れているわけだ。アマゾン流に考えると、印刷は流通に、そして編集も流通にくっついているのだ。

 何度考えても面白いのは、アマゾンは出版業界の部外者だということである。だいたい18年前は存在もしなかった。それが、これだけのことをやってのけている。しかも、アマゾンは当初から「こういう戦略で既存の出版業界を書き換える」と計画していたわけではないと思う。その時々の戦略は、それに先立つ戦略とその結果の向こうに有機的に描き出されてきたのではないだろうか。

 当たり前だが、テクノロジーの力も大きい。書籍の場合ならば、電子ファイルというテクノロジーを最も効率的に回していって、アマゾンはここに到着したのだ。そう考えると、まさに部外者だからこそできたことなのだろう。護るものはなく、技術をエンジンにして、効率性を徹底的に追求してきたわけだ。

 アマゾンの動きに対しては、もちろん既存の出版業界からの警戒や抵抗もある。出版界の会議などでアマゾンの社員が壇上でスピーチすると、不気味な静けさがあたりにただよったりもする。だが、一般の消費者はアマゾンによって大きな恩恵を受けている。本は安くなり、電子書籍ではクリエイティブで楽しみな動きがたくさん起こっている。

 そして、出版社も受動的に眺めているだけでなく、それぞれに次の動きに出始めた。消費者に直接販売する方法を考えたり、定期購読モデルで書籍を提供したりするアイデアなどが出てきている。破壊が一周して、出版業界の次のイノベーションにつながりそうな気配なのだ。

 さて、振り返って、自炊する日本の人々はどうか。そこには、出版業界が能力を出し惜しみして、消費者が不当に発展から取り残されている、そんな雰囲気が感じられるのだ。

プロフィール

瀧口範子

フリーランスの編集者・ジャーナリスト。シリコンバレー在住。テクノロジー、ビジネス、政治、文化、社会一般に関する記事を新聞、雑誌に幅広く寄稿する。著書に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか? 世界一IQが高い町の「壁なし」思考習慣』、『行動主義: レム・コールハース ドキュメント』『にほんの建築家: 伊東豊雄観察記』、訳書に『ソフトウェアの達人たち: 認知科学からのアプローチ(テリー・ウィノグラード編著)』などがある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏とゼレンスキー氏が「非常に生産的な」協議

ワールド

ローマ教皇の葬儀、20万人が最後の別れ トランプ氏

ビジネス

豊田織機が非上場化を検討、トヨタやグループ企業が出

ビジネス

日産、武漢工場の生産25年度中にも終了 中国事業の
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口の中」を公開した女性、命を救ったものとは?
  • 3
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 4
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 5
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 6
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 7
    足の爪に発見した「異変」、実は「癌」だった...怪我…
  • 8
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 9
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 10
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 3
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 4
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?.…
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 8
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 9
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 10
    【クイズ】世界で最もヒットした「日本のアニメ映画…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story