コラム
酒井啓子中東徒然日記
イギリスは燃えているか
私のなかの英国は、クラッシュ(London Calling)やセックス・ピストルズ(Anarchy in the UK)などのパンクとかモッズ、あるいはジョン・オズボーン(「怒りをこめて振り返れ」)とかアラン・シリトー(「土曜の夜と日曜日の朝」)などの「怒れる若者たち」なので、8月はじめからイギリス中を席捲している暴動は、それほど意外ではない。映画でいえば、「マイ・ビューティフル・ランドレット」(ダニエル・ディ・ルイス!)なので、移民の第二、第三世代と白人貧困層が置かれた問題にも、そんなにびっくりしない。なんといっても、マルクスがその資本主義社会を見て「資本論」を書いたのが、英国である。
そうはいっても、今回の連日の暴動は深刻かつ要注目である。80年代の人種暴動と同種視する報道もあるが、暴動発生の引き金となったアフリカ/カリブ系市民への誤射事件を除けば、暴動を起こしている側も被害にあっている側も、はっきりとエスニック対立で争点が分かれているわけではない。数年前にフランスで問題視されたような、イスラーム系移民の暴動とも違う。昨今の経済悪化、それに対する政府の無策が槍玉に挙げられていることは確かだが、暴れているのは中産階級の若者でもあるので、マルクスが切実に感じ取った階級対立が噴出しているというのでも、ない。フーリガン的伝統はあっても、略奪や焼き討ちが土曜の夜の昔からの伝統だったわけではない。これはいったい、何なのだろう?
ヨーロッパ全体の経済悪化、EUの失敗、多文化主義の失敗が近年ことさらに指摘される。そうした諸矛盾が、社会のマージナルな部分に位置する移民や若者に集約されて噴出する。7月のノルウェーでのテロ事件はもとより、近年ヨーロッパ全体での極右の台頭、反移民を掲げる保守派の政治舞台での主流化を見れば、単なる一国の社会現象として軽視すべきではない。今、ヨーロッパ中の社会学者、政治学者、文化人類学者が、この問題をどう分析すべきか、一斉に頭を働かせていることだろう。
むろん、第二次大戦以降経済的理由に植民地政策の遺産が加わって、中東、アジア諸国の旧植民地からの大量の労働力を求めてきた仏、英、独など、移民受け入れ経験の長い国と、ノルウェーのように(経済的理由もあるが)多元主義の理念から移民との共存を追及してきた難民受け入れ国を、一緒に議論することはできない。またヨーロッパでのさまざまな反移民感情の噴出を、政治問題として捉えるか、社会問題と考えるか、犯罪なのか文明対立なのか、はたまた行き過ぎたサブカルとみなすべきなのか、単純に一通りの解決策を探すべきではない。事件後即座に、わかりやすくとっときやすい十把一絡げな解説があまり出てこないところを見ると、いろいろな要素が絡んだ深刻な問題だからこそ、各分野の専門家たちは結論を急がず、あくまでも分析に慎重なのだろう。
そう考えると、十年前の米国同時多発テロ事件に対する「対テロ戦争」という、即座のとっつきやすい回答が、どれだけ短絡的だったかがよくわかる。あのとき政治家と学者と報道者が、個別に十分に慎重な対応をとっていれば、その後の展開はどうだったか、と改めて考える。
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