コラム
酒井啓子中東徒然日記
イラク選挙に見える世代交代
3月7日に実施されたイラクでの国会選挙の結果が、27日に発表された。現首相マーリキー率いる法治国家同盟が、親米世俗派のアッラーウィ元暫定首相率いるイラキーヤに僅差で負けたことや、どちらがどう他の政党と連立を組むかで今後混乱は必至、といったことが、新聞各紙でも指摘されている。
ここでは、そういった報道に現れてこない、選挙の裏側を見てみよう。特に、大物政治家が多く落選しているのが、注目される。
まず、現職閣僚。国防相、内務相という要職2人が落ちているのが、驚きだ。運輸相、人権相、移民難民相といった首相派閥の閣僚も、落選。他派閥からの閣僚あわせて、出馬した閣僚の3分の1が落選している。首相のマーリキーは全投票数の1割を確保した圧倒的トップ当選なので、マーリキー政権にNoが下されたわけではないけれど、国民がそれぞれの閣僚を見る目は、厳しかったようだ。
また現職閣僚ではないが、戦後のイラク政治を動かしてきた大物政治家の落選も目を引く。マーリキー政権とその前のジャアファリ政権で安全保障分野を支えてきたルバーイー元国務相が、その代表例だ。マーリキー属するダアワ党の中心人物で、戦前から欧米と関係を持ち、フセイン元大統領が捕まったときに最も激しくその罪を糾弾した1人である。
米国との関係でいえば、スンナ派のアドナン・パチャーチ元外相や王政運動のシャリーフ・アリーも落選組だ。イラク戦争の数年前、米国が本格的にフセイン政権転覆を考えて当時の反フセイン勢力にてこ入れを始めたとき、スンナ派の大物政治家は誰かいないか、と探して引っ張り出したのが、この2人である。パチャーチはフセイン政権誕生以前の60年代に外相や国連大使を務めたリベラル派、シャリーフ・アリーは1958年までのイラク王政を担ったハーシム王家の末裔である。当時米国は、アフガニスタンのカルザイのような役割が2人に期待できるのでは、と、考えていた。
細かいところでいえば、第3党となったイラク国民同盟の重鎮が落選したのが興味深い。イラク国民同盟の主要派閥は、イラク・イスラーム最高評議会という、シーア派宗教界出身の政治家を多く抱える勢力だが、宗教指導者のハンムーディとサギールが落ちた。
これは、落選というより左遷である。2人とも、シーア派住民の多い南部あるいは首都からではなく、シーア派がほとんど地盤をもたないクルド地域から出馬させられた。これは、イラク・イスラーム最高評議会自体が宗教界への依存体質を変えようとしている、ということかもしれない。同評議会のトップが去年亡くなり、弱冠39歳の息子が後を継いだことと無関係ではなかろう。
イラク新政権の行方がどうなるかは注目の的だが、その底流に、確実に世代交代が起きている。イラク国民の意識下では、そろそろ「戦後」が終わろうとしているのかもしれない。
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