- HOME
- コラム
- フォトグラファーGのフォトブログ
- アメリカの皮を剥いだロバート・フランク
コラム
ゲイリー・ナイトフォトグラファーGのフォトブログ
アメリカの皮を剥いだロバート・フランク
ニューヨークのメトロポリタン美術館は、何トンもの財宝を腹に抱えてよく肥えた王様のように5番街に君臨している。
芸術世界の分岐点の染みのような存在である写真家ロバート・フランク(85)の作品を展示するには、風変わりな場所だ。ロダンのブロンズ像やモネの絵画を過ぎ角を曲がったところに、「光沢のない」アメリカを写したフィルムのベタ焼が掲げられている。
「ルッキング・イン:ロバート・フランクの『アメリカ人』」(2010年1月3日まで開催中)の世界にようこそ。
「パレード」 ホーボーケン、ニュージャージー(1955年)
アメリカの小説家ジャック・ケルアック(ビートジェネレーションの王様と呼ばれた)に言わせれば、外国人のフランクは「アメリカの中心から悲しい一編の詩を吸い上げた」。ケルアックほど「イカして」いない者たちは、彼の作品を「無意味で、酩酊していて雑」と嘲笑した。何にせよフランクは、アメリカで1万6000キロを旅し2万7000枚の写真を撮影した後で、私たちの物の見方を永遠に変えてしまった。そのなかの83枚を収録した写真集『アメリカ人』で、フランクは母国スイスの伝説的英雄ウィリアム・テルのような腕前で、写真家エドワード・スタイケンが企画開催し当時絶賛されたセンチメンタルな写真展『ファミリー・オブ・マン』のピクトリアリズム(絵画的な写真)に風刺の矢を突き刺した。脳裏に焼きついて離れず感情を排した彼の写真はアメリカの皮を剥ぎ、その叫びは世界中にこだました。
非道を知る外国人の目で
血と汗と涙を収めたフランクの写真集は、50年代のアメリカを夏の嵐のように縦断した。彼が小さなカメラを手に、ボロボロの古いフォードに乗ってアメリカを旅したのは、白人女性に席を譲るのを拒否した15歳の黒人少女クローデット・コルビンがバスから引きずり降ろされたり、マーチン・ルーサー・キング牧師が「夢」を語り始めたころ。その過程で彼は写真を再発見し、写真をギャラリーからから通りに持ち出した。
メトロポリタン美術館にぴったりではないか。
雑誌のモデルのような女性は、青白く長い首筋に香水を噴きつけてから、デトロイトの組立ラインの写真に目を凝らす。ガラスの向こうの工員たちの作業服に、彼女の真っ赤な唇が投影する。唇はそれから、地味な友人の方を向いて言った。
「お腹減ってる?」
人種差別や公民権侵害を攻撃し、台頭しつつある消費文化に疑問を呈したこのタイムリーで革命的な作品も、美術館できれいに飾られるとその迫力は減退する。芸術には違いないが、「芸術のための芸術」ではない。この展示会は作品の意図ではなく、その過程に焦点を置いているが、的外れだ。
フランクの作品は批判的だが論争的ではない。ナチスドイツを隣国にもったスイスのユダヤ人として、彼は政治指導者の残忍さをよく理解していた。アメリカでは外国人として孤独に敏感だったが、心を閉ざすことなく現実を写し出した。04年のドキュメンタリーで、フランクはその時の体験をこう語っている。「黒人の扱われ方をはじめて目にした。驚きだった。でもそれでアメリカを嫌いになることはなかった。人がどんな風になるのかを理解した」
「ジョン、あれは何?」
「お母さん、あれはビューイックだよ」
「すごいわ」
ピント外れの展示内容
真実と捏造の混じった展示資料はフランクの意図にうまく光を当てていない。ただ彼のあまり面白くない過程には光を当てている。たとえば、8×10 インチの試作プリント83枚のコラージュ。フランクが55年前、写真集のレイアウトを考えていたときの記憶を基にして壁面に再配置されていた。当時は本当にそうだったことを信じろとでも言うように。これらのプリントからは2枚だけが写真集に使用されたのだが、フランクが壁に多くの写真を掲げるのが好きだったことだけは、確かなようだ。
ケルアックが書いた写真集の序文のコピーや、この写真集に資金を出したグッゲンハイム財団への提案書(写真家ウォーカー・エバンズが書き直した)も、プレキシガラスの向こうに展示されている。磨き抜かれたガラスの向こうでおそろいの黒いフレームに収まり、配慮の行き届いた控えめな照明の下で見る展示品は、古い目で見た世界のように、生命もエネルギーも失っている。
ムートンブーツにストレッチパンツをはき、コソ泥のようにも見える10代の芸術専攻の学生2人は、35番目の作品が展示されているハワード・ギルマン・ギャラリーのベンチに腰を下ろしている。アリゾナ州ウィンズローとフラッグスタッフの間の旧国道66号線上で起きた交通事故の現場の写真だ。
「アートに興味のない男とは付き合えないわ、わかる?」
「うん」
展示のスタート地点から140歩のところにあるプレキシガラスの箱で、展示は終了する。その箱には、きちんとラベルが貼られている。「アメリカ人の破壊」と「作品名なし 1989」、「ゼラチン・シルバー(銀塩写真)と熱転写の混同プリント」。フランクは、16×20インチの複数の写真を重ねて太い電線で巻き、6インチの釘3本を打ち込んだ。彼の作品に大金をはたくコレクターを嘲笑ったものだという。だがこの作品は高値で売れ、コレクターは仕返しを果たした。140歩の後に分かったことは、フランクはメトロポリタン美術館が好きだということ、だが彼の作品はそうでもないということだ。
★関連記事
巨匠ロバート・フランク写真展
ロバート・フランク ノワール写真の悲しき美
この筆者のコラム
信念の写真家キャパの「置き土産」 2010.12.07
修整の是非より写真の「誠実さ」を問え 2010.10.20
フォトジャーナリスト アレックス・ブラーを惜しんで 2010.07.27
想像を絶した私の戦争「初体験」【後編】 2010.04.07
想像を絶した私の戦争「初体験」【前編】 2010.03.31
世界報道写真コンテスト:「今年最高の一枚」など存在しない 2010.02.23
ハイチ取材に食指が動かない理由 2010.01.19