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ロバート・フランク ノワール写真の悲しき美

名作『アメリカ人』が新版で登場
陰気で美しい白黒の世界は今なお新鮮に映る

2009年12月9日(水)14時42分
マルコム・ジョーンズ

フランクの写真集『アメリカ人』

 50年代半ばのアメリカで、2冊の記念すべき写真集が出版された。
『ファミリー・オブ・マン』はニューヨーク近代美術館(MoMA)の写真展のために、写真家のエドワード・スタイケンが選んだ作品が収められている。当時は、どの家のリビングにも置かれるほど人気だった。もう1冊は、スイス出身の無名の写真家ロバート・フランクの『アメリカ人』。83枚の写真からなる薄い写真集だ。当初600部しか売れず評価もさんざんだった。

 だが半世紀たった今、勝利を収めたのは『アメリカ人』だ。『ファミリー・オブ・マン』はさまざまな文化の食事や踊り、歌の光景から共通の人間性を表現しようと試みたが、今日では多くの批評家から「作りすぎ」とこき下ろされている。

 対照的に『アメリカ人』は、気がめいるほど陰気な写真集だが、手にするたびに新鮮に見える。詩人エズラ・パウンドは、「文学とはいつまでも古くならないニュースのこと」と言ったが、『アメリカ人』についても同じことが言えるだろう。

 この写真集が出版されたのは冷戦の真っただ中、公民権運動が始まったころ。少年非行や核爆弾という心配のタネはあったが、大半のアメリカ人は繁栄に浸っていた。そんな空気のなかでこの写真集を見た人は、ほおに平手打ちを食らった気分だったろう。被写体は幸せそうに見えず、笑顔は数えるほど。ほとんどは物思いに沈んでいたり、ぼんやりしていたり、疑い深い表情をしている。怒りを浮かべている人さえいる。

まるで悲劇の詩人のよう

 ニューオーリンズ(ルイジアナ州)の路面電車で白人が前のほうに、黒人が後ろに座る光景は、人種の分断を如実に伝えている。しかし、フランクを記録写真家と呼ぶのはまちがいだろう。初版の序文を書いた作家ジャック・ケルアックは、「アメリカの現実から悲しい詩を吸い上げてフィルムに焼きつける」フランクの能力をたたえ、写真家というより悲劇の詩人だと書いた。

 『アメリカ人』は一見、通りすがりに何げなく撮った写真に思える。だが見る者はすぐに、2年間全米を旅して撮影した2万枚以上の写真から、彼が注意深く83枚を選んだことに気づくだろう。国旗、ジュークボックス、車、十字架が何度も現れ、写真から写真へと余韻を響かせる。ふてくされたティーンエージャーや孤独な群衆、荒涼とした町の風景にはエネルギーがあり、決して投げやりに撮影されたものではないことがわかる。批評家たちはその意図が見抜けなかったのかもしれないが、彼は目的をもって撮影していたのだ。

 『アメリカ人』は写真のあり方を変えた。後の写真家ダイアン・アーバスも、リー・フリードランダーも、ナン・ゴールディンもフランクが開けたドアを通っていった。その影響は芸術写真にとどまらずファッション広告、ミュージックビデオ、映画でも模倣された。彼は70年代前半にローリング・ストーンズのアルバム『メインストリートのならず者』のカバーをデザインした。それはその時代を支配していた美学、つまりフランク自身が創造した美学をコピーしたような作品だった。

何げない風景の価値

 刊行50周年を記念して、このほどスタイドル社から新版『アメリカ人』が出版された。ページをめくってみると、当時あれほど酷評されたことが不思議に思える。バーの床に落ちる光、田舎の郵便ポスト、車の窓からぼんやり外を見る母親......。どこにでもある当たり前な風景も被写体になるし、鑑賞する価値があることは、今ではすっかり常識になっている。

 人生がつらいときも(この写真集の中ではいつもそうだが)、目を凝らせば奇妙な所に美を見いだすことができる。フランクはそう言いたかったのかもしれない感傷に流されないフランクだからこそ、悲しくも美しい光景をアメリカに見いだすことができたのだろう。彼は最初のノワール写真家と呼べるかもしれない。

 彼の写真集はコントラストのはっきりした白と黒で満たされている。どうせうまくいくはずがないことが最初からわかりきっているような厳しい世界。だがそこに映し出された現実は、私たちをとらえて離さない。


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アメリカの皮を剥いだロバート・フランク     

[2008年6月11日号掲載]

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