コラム

マードック帝国の運命やいかに

2011年07月29日(金)13時06分

 イラクから帰国しました。前回のコラムで、イラクの猛暑と停電について取り上げました。日本に戻ってみれば、日本の暑さは、なんと肌にやさしいことか。湿度が高く、蒸し暑いとはいえ、砂漠から吹きつける強烈な熱風に比べれば、なんの、なんの、穏やかなものです。気候・風土が人々の気質に大きな影響を与えることを論じた和辻哲郎を思い出します。

 さて、海外では大きなニュースとして扱われながら、日本国内ではほとんどニュースにならない。こんなことが、よくあります。マードック帝国が危機に立っているニュースも、そのひとつでしょう。

 メディア王ルパート・マードックが統治するニューズ・コーポレーション傘下のイギリスの大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」が、取材にあたって盗聴を繰り返していたことが判明し、「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」は、7月7日、廃刊を発表しました。

 この新聞は、誘拐殺人事件の被害者の少女の携帯電話の伝言まで盗聴していました。

 さらに、情報提供を求めて警察官を買収していたこともわかり、ロンドン警視庁の警視総監が辞任に追い込まれました。

 こうなると、勢いづくのは、ニューズ・コーポレーションのライバル企業です。「ニューズウィーク」も例外ではありません。本誌日本版8月3日号は、「マードック帝国、ついにメルトダウン!」の特集記事を掲載しています。

 なにせニューズ・コーポレーションは、世界の主要なメディアを次々に手中に収めてきたのですから、ライバル企業は戦々恐々としていました。やっと反撃のチャンス到来です。

 ニューズ・コーポレーションは、イギリスの大衆紙「サン」ばかりでなく、かつてはイギリスの良心を代表する新聞といわれた「タイムズ」も買収し、派手な見出しが躍る新聞に変えてしまいました。

 アメリカでは、「ウォールストリート・ジャーナル」も買収。紙面をカラー化し、経済専門紙だったものを、ニューヨークの街の話題を報じる大衆的な新聞へと改造中です。ニューヨークの街の話題を報じられては、「ニューヨーク・タイムズ」はライバルになってしまいますから、危機感を募らせます。

 ルパート・マードックはメディアを大衆化すると共に、徹底した保守化を進めてきました。アメリカのテレビ界では、中立・公正な報道を心がけてきたCNNに対抗して、保守派のFOXニュースを運営。共和党系のコメンテーターを何人も使って、民主党のオバマ政権を徹底して叩いています。

 特定の企業メディアが強大化し、世論を形成していくのは、恐ろしいことです。マードック帝国のスキャンダルに色めきたった他のメディアの批判キャンペーンは、そこに商売の臭いを感じるにせよ、多様な言論の大切さを教えてくれます。

 でも、本誌の特集記事の中で、ロンドンの人権派弁護士ジェフリー・ロバートソンは、次のように書きます。

「(現在はイギリスの議会がマードックとその息子を追及しているが)議会はこれから3カ月の夏休みに入る。10月半ばに再開する頃には、もうマードック親子に対する国民の怒りも消えていることだろう。賄賂や盗聴があったにせよ、イギリス人の多くはマードックの新聞が提供するゴシップ記事を楽しんでいたのだから」

 この自虐的なコメント。いかにもイギリス的ですが、単なるマードック叩きの原稿を掲載するのではない「ニューズウィーク」も、なかなかです。

プロフィール

池上彰

ジャーナリスト、東京工業大学リベラルアーツセンター教授。1950年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHKに入局。32年間、報道記者として活躍する。94年から11年間放送された『週刊こどもニュース』のお父さん役で人気に。『14歳からの世界金融危機。』(マガジンハウス)、『そうだったのか!現代史』(集英社)など著書多数。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル上昇、年間では2017年以来の大

ワールド

原油先物、25年は約20%下落 供給過剰巡る懸念で

ワールド

中国、牛肉輸入にセーフガード設定 国内産業保護狙い

ワールド

米欧ウクライナ、戦争終結に向けた対応協議 ゼレンス
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめる「腸を守る」3つの習慣とは?
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 5
    中国軍の挑発に口を閉ざす韓国軍の危うい実態 「沈黙…
  • 6
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 7
    「すでに気に入っている」...ジョージアの大臣が来日…
  • 8
    「衣装がしょぼすぎ...」ノーラン監督・最新作の予告…
  • 9
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 10
    「サイエンス少年ではなかった」 テニス漬けの学生…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 10
    「衣装がしょぼすぎ...」ノーラン監督・最新作の予告…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story