長靴でも壊れたバケツでも生命のないモノなら、ポートキーの魔法がかけられる。予め設定した時間に、そのポートキーに触っている者全員を、決められた場所に瞬間移動させる技だ。
実は、季語にもこの力があるのだ。
読んだ瞬間に、行ったこともないモンゴルの高原に立っていた。爽やかな空気を切り裂く秋の燕たち。移動式住居「包(パオ)」の1つを覗きこめば、赤ん坊がいる。移動しながらこの地に暮らす人々の営みと、南方へ旅を始める秋の燕の存在が、一瞬にして交差する。
季語によるこの瞬間移動は、俳句を読み解くトレーニングを多少積めば、誰でも楽しめるようになる、まさにポートキーの魔法なのだ。
今年の夏、ひょんなことからある句集と出会い、季語が持つポートキーの力に愕然と打ちのめされた。
句集の題名は『広島』。ことの発端は、NHK広島放送局からの依頼だった。
原爆投下から10年目に上梓されたこの句集。全国の俳人に呼びかけ募集した俳句の中から、約1500句が選ばれ掲載されている。有名俳人から市井の俳人まで50音順に並べた構成は、この句集の性格を如実に表している。
NHK広島放送局のディレクターから依頼されたのは、この句集を読み解いて欲しいというものだった。俳句は、たった17音。ひとまずの句意は理解できたとしても、句の奥行や背後にあるものまでは、味わい切れない。そういう依頼だと理解した。
手にした句集は、オレンジ色の表紙に『句集広島』とのみある簡素なもの。油断するとバラバラになりそうに緩んだ綴じ紐。作業のために貼った付箋を剝がそうとすると、紙そのものがちぎれてしまう粗雑な紙。
1句1句読み進めるうちに、こんな句が目に飛び込んできた。