パブリック・スクールでは多様な人間をあるがままに受け入れる余裕がある。つまり、一人一人に居場所があり、得意とする才能を伸ばしてくれる応援者がいる。
小さな子どもというものは、無心で自分を守ってくれる人を探し求める。大人だってそうだ。しかし、必ずしもこの世の中は助けてくれる人ばかりではない。そのような世の中で、少なくとも自分を守り、応援してくれる人たちがいる、と感じられることは生きる上で心の支えとなる。
考えてみてほしい。仮に、学校や教員が、それぞれ個々の生徒の優れたところを伸ばすことに力を入れ、また、それぞれの生徒が自分の個性を見つけ出せるような環境を整えてくれるならば、生徒たちも喜んで学校に行くのではないだろうか。
教育の機会均等とは、同学年のすべての生徒に同じレベルの内容を教えることではない。生徒一人一人の優れた性質や才能を見つけて、育て、伸ばしていくことだ。それこそがパブリック・スクールの使命の一つでもあると言える。
それを可能にしているのがパブリック・スクールでの少人数教育だ。イギリスの教育では、先生一人が受け持つ生徒数は「少なければ少ないほど良い」という考え方がある。一人の教員が受け持つ生徒数は、「ザ・ナイン(*)」では1クラスおよそ10人となっており、この点が日本の学校との大きな違いだ。確かに、生徒が少なければ少ないほど一人一人に目が行き届きやすくなるはずであり、また、教師の負担も軽減される。
しかし、良い面ばかりではない。パブリック・スクールにも荒廃と混沌の時代があった。厳しい校長や校則への反発から器物を破壊したり、体罰やいじめ、暴力問題も横行していた。体罰については、1986年に全面禁止になるまで続けられ、特に生徒を罰する手段として鞭打ちが積極的に用いられていた。
また、「いじめ問題」について進歩的な対応を行っているスコットランド最北に位置するパブリック・スクール、ゴードンストン校の教師に問い合わせたところ、いじめが生じると生徒が所属するハウス・ペアレンツ(寮生の親代わりの保護者)に連絡がいき、そこから学年の主任リーダーの教師、副校長、そして副校長からパストラル・ケア担当(カウンセリング担当)の副校長に報告されるとのこと。
たとえ一度の過ちでも、いじめを行った生徒は即座に永久退学を命じられることもあるということだ。厳粛な対応だ。
日本の学校で、いじめを受けた生徒が、心の傷を負い、学校に通えなくなる例が多い中、イギリスのパブリック・スクールの厳しい対応は参考になるのかもしれない。そして現在では公立私立関係なくイギリスのほぼ全学校で、授業の一環として全生徒がいじめを正面から取り上げ、共に考えるプログラムを学んでいる。学校が率先して、事が起こる前にいじめの芽を摘むように心掛けていることも重要だ。
現代のパブリック・スクールにおいても、まだまだ改善すべき点や取り入れなければならない点はもちろんある。ただし、歩みは遅かったかもしれないが、昨日よりは今日、今日よりは明日といったように、より良い学校にするための努力は日々積み重ねられ、改革は着実に進んでいるようだ。