互いに目的関数も時間軸も違う。けれども、大竹氏は一歩踏み込んで「基本的な人間行動の前提」が、経済学者と感染症専門家とで違うと論じる。
例えば、出口戦略を先に公表すると感染対策の緩和や行動の緩みにつながると捉えるのか、あるいは行動制限が緩和されるなら今は我慢すると考えるのか......。それは一朝一夕に埋まるものではないだろう。
ただし、これらの違いはむしろ健全なものであるとも言える。様々な専門家が時に対立しながら真摯に議論することには大きな意義がある。
だが、気になることもある。実は私が取材を通して互いに対してもどかしさを感じているように見えたのは、何も経済学者と感染症の専門家の間の問題だけではなかったことだ。
厚生労働省などの行政官や政治家たちは、専門家たちに対してもどかしさを感じていた話を聞いた。それは助言する立場の専門家には見えない死角が、行政の立場からは見えるのかもしれない。その逆も然りであろう。
この違いを「あの人は専門が違うからわかっていない」と切り捨てては、豊かな政策決定に資する議論は生まれない。
今回の『アステイオン』での検証のように、差異を含めて検証してくれることで、相手の思考の道筋を知ることができ、今後のパンデミック対策を進める知的な共有財産になるのではないか。
この特集は経済の前提知識がない私のような者にとっても理解しやすく、経済学的な思考の一端を知ることができた。今回は経済からのアプローチだったが、さまざまな分野からの検証アプローチが続くことを願いたい。
河合香織(Kaori Kawai)
1974年生まれ。神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科卒業。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。主な著作に『ウスケボーイズ──日本ワインの革命児たち』(小学館、小学館ノンフィクション大賞)、『選べなかった命──出生前診断の誤診で生まれた子』(文藝春秋、大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞)、『分水嶺 ドキュメントコロナ対策専門家会議』(岩波書店)など。
『アステイオン』101号
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
CCCメディアハウス[刊]
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