第2弾は『デパートを発明した夫婦』(後に文庫化に伴い『デパートの誕生』と改題)である。
これは世界初のデパートであるパリのボン・マルシェの創業者ブシコー夫妻の伝記で、ブシコー夫妻の発明した商業システムがいかにして近代資本主義をつくったかをテーマにしているが、その勘所は、ブシコー夫妻が必要による消費から潜在的欲望の発見による消費へと顧客を導いたその手法にある。
ブシコー夫妻がやったこと、それは「デパートを奢侈の殿堂に変えることで、消費者に夢見る権利を与え、新たな欲望を開発する」ということにつきる。近代資本主義はまさにこの原理で駆動するようになったのだ。ショッピング・モールもコンビニも同じ原理に基づいていることは改めて指摘するまでもない。
では、私は共同書店PASSAGEはジラルダンとブシコーのシステムを応用することでつくったのか?
むしろ、その逆であると言ったほうがいい。ジラルダンとブシコーのシステムが、あることをきっかけに稼働しなくなった原因を探ることから逆算的に結論へと至ったのである。その要因とは人口減少である。ジラルダン・システムもブシコー・システムもそれが良き循環となるのは人口が右肩上がりで上昇することを前提としている。
だが、日本では世界で類を見ないような極端な人口減少に見舞われている。よってジラルダン・システムは「購読料アップ」→「発行部数ダウン」→「広告収入ダウン」→「購読料アップ」→「発行部数ダウン」→「広告収入ダウン」という悪循環に陥ったのである。
同じようにデパートも「デパートに来る顧客数のダウン」→「売上ダウン」→「夢見効果の弱体化」→「デパートに来る顧客数のダウン」→「売上ダウン」「夢見効果の弱体化」という負のスパイラルに襲われることになる。
では、この悪循環、負のスパイラルを抜け出す方法はあるのか? ないわけではない。人口増加が始まる前のシステムを研究すればいいのである。
フランスについていえば人口増加が目に見えるかたちで始まるのはナポレオン帝政のあとの王政復古期である。この時代にはまだデパートは存在せず、パサージュPASSAGEと呼ばれるアーケードの商店街が主流だった。
つまり、人通りの多い通りと通りの間に抜け道PASSAGEを設け、その通り抜けの両側に商店を配したうえで天井をガラスで覆い、日光は差し込むが雨風は入ってこないようにした商業施設である。
このパサージュは第二帝政期に入ると新たに出現したデパートとの競争に破れ、衰退していったのだが、なぜか消滅はしなかった。衰退したパサージュには極度に専門性の強い商店、たとえば古本屋、古切手屋、古絵葉書屋、古ステッキ屋、骨董屋などが集まるようになったからだ。
ようするに、扱う商品はほとんど唯一無二、ただし果たして買い手が現れるかどうか分からないというようなタイプの店の集合施設なのだ。パリにはこのパサージュが150年の衰退に堪えてなお十数箇所残存している。