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2022年3月に、思うところあって神田すずらん通りに共同書店PASSAGE1号店(正式名称はPASSAGE by ALL REVIEWS)を開店した。
以後、2年間のうちに2号店PASSAGE bis、3号店PASSAGE SOLIDAと矢継ぎ早に開店し、2024年9月には飯田橋の東京日仏学院の敷地にあった旧欧明社の跡地に4号店PASSAGE RIVE GAUCHEを開店することとなった。
フランス文学者という看板を掲げている私がなにゆえにこうした新型の書店経営に乗り出したのか、話せば長くなるが、私の中では一貫した論理が保たれているので、この場を借りて、説明しておこう。
その昔、フランス文学の業界では博士論文は定年退職を機に書くものという「麗しき伝統」がまだ存在していたので、その研究者の専門の指標になるのは修士論文でどんな作家を取り上げたかということだった。
この意味で私はフロベールで修士論文を書き上げたので、「フロベール屋」としてスタートしたということになる。だが、途中で宗旨変えして、「バルザック屋」を名乗ることにした。「バルザックにはすべてがある」と感じたからである。
ではその「すべて」とは何かというと、マルクスのいう下部構造と上部構造をひっくるめたものすべてということになろうか?
とにかく、私はバルザックを読んでいてそう感じ、その「すべて」をひとことで言いあらわすような言葉がないものかと考え続けた結果、ついに『ペール・ゴリオ(ゴリオ爺さん)』の中に見いだしたと思ったのである。
それは、私がサントリー学芸賞を受賞した著書のタイトルにした「馬車が買いたい!」である。そう、フランス革命によって権利平等が保証されたにもかかわらず結果平等とはほど遠い超格差社会が出現したのを前に、その格差を乗り越えようともがくバルザックの主人公たちのドラマを思い切って要約すればこうなると確信したのだ。
ならば、これを手掛かりにして、バルザックが描いた資本主義勃興期の社会を分析してみようと思ったのだ。
その第1弾が、ジャーナリズムにおけるバルザックの盟友エミール・ド・ジラルダンの評伝『新聞王伝説 パリと世界を征服した男ジラルダン』(後に文庫化に伴い『新聞王ジラルダン』と改題)である。
いまの「まとめサイト」と似たようなアイディアの剽切新聞「ヴォルール」からスタートしたジラルダンは馬車どころか新聞でさえ高くて購読できないような社会層にも新聞定期購読が可能なようなシステムはないかと考えたすえに、広告に購読料の半分を払わせるという方法を考え出した。
すなわち、新聞の四面をすべて広告に開放することで、購読料は半額に引き下げ、発行部数を倍にしたのである。すなわち「購読料低下」→「発行部数増加」→「広告収入増加」→「購読料低下」→「発行部数増加」→「広告収入増加」という無限サイクルをジラルダンは発明したのだ。
これがどれほど画期的なアイディアだったかはこのシステムがラジオ・テレビを経てネット社会でもそのまま通用していることからも明らかだろう。