アステイオン

経済学

なぜ日本の経済学者は「新型コロナ対策」に大きく貢献できたのか?...「政策研究」と「学術研究」のはざまでの挑戦

2025年01月15日(水)11時00分
大竹文雄(大阪大学特任教授)
2020年4月7日「緊急事態宣言」

2020年4月7日「緊急事態宣言」 REUTERS/Issei Kato


<日本経済学会「新型コロナウイルス感染症ワーキンググループ」が果たした役割とは? 『アステイオン』101号の特集「コロナ禍を経済学で検証する」より「感染症対策における日本の経済学(者)」を一部抜粋>


日本の経済学者の貢献

新型コロナウイルス感染症対策に、日本の経済学者は大きく貢献した。緊急事態宣言の効果検証、緊急事態宣言に関わるシミュレーション研究、新型コロナが消費、教育、労働、健康などに与えた影響についての分析である。

例えば、2020年の夏に新型コロナウイルス感染症の感染拡大が生じた際に、緊急事態宣言は発出されなかった。この背景には、第1回目の緊急事態宣言が人流に与えた影響の効果検証を行なった東京大学大学院教授の渡辺努氏らの研究が新型コロナ対策分科会で内閣官房から報告されたことも影響した可能性がある。

彼らの研究の重要なメッセージは、人々の行動変容が主に引き起こされる原因は、緊急事態宣言のような行動制限よりも感染リスクに関する情報であったということだ。

つまり、行動制限という外生的な理由ではなく、感染情報をもとにした人々の内生的な行動変容が人流低下の中心であるということだった。緊急事態宣言による行動制限がもたらす行動変容も存在したが、感染情報によるものが一番大きいというものだ。

一方で、若年者は情報だけではあまり行動変容をせず、緊急事態宣言の影響が比較的大きかったということも分析されていた。この研究は、人々は得られた情報をもとに合理的に行動を決定するという経済学の想定する人間像とある程度一致したものだった。

これに対し、医療や公衆衛生の専門家は、行動を法的に規制しないと、人は人との接触程度を変えないと想定することが多く、感染対策として行動制限を提言する傾向にあった。その中で、渡辺氏の研究は、行動制限という規制に頼らなくても情報提供が重要な政策手段になることをエビデンスで示したと言える。

有識者会議に参加した経済学者は、日本の経済学者の新型コロナ感染症対策に関する数多くの研究をもとに意見を表明できたので、政策にもある程度反映できた。しかし、そのような体制が日本で構築できたのは、2020年の秋以降である。

第1回目の緊急事態宣言の時点では、日本の経済学者の新型コロナに関する研究の知見は、ほとんど集約されず、誰がどのような研究を行なっているのかさえ、有識者会議のメンバーとなった経済学者にはわからなかった。

医学系の研究者は、研究室単位で多くのスタッフを抱えているので、有識者会議に一人の委員が参加すると、その下で多くの研究者が分析作業にあたる。しかし、社会科学系の研究者は、研究室単位で研究をしているわけでなく、基本的に個人研究を行なっている。そのため、新型コロナ対策に資する経済学の研究を有識者の下にあるチームで推進するということはできなかった。

私自身、専門家会議に参加するようになった際に、何を研究するべきかという政策現場からの研究課題を知ったが、その研究を既に誰かが行なっているのか、あるいは誰に依頼すればできるのかがわからなかった。そこで、2020年度から日本の経済学の研究者が参加する最大の学会である日本経済学会の会長となったタイミングで、私は日本経済学会に新型コロナウイルス感染症ワーキンググループ(以下、コロナWG)を設置した。

PAGE TOP