アステイオン

文学

38年前の社会と自分、あるいは後知恵の記...『アステイオン』が論じてきたこと

2024年12月11日(水)11時02分
池澤夏樹(作家、詩人、批評家)

ぼくが「芸術時評」を書いてからの三十数年で日本はどうなったか? ぼくの人生では40代から70代の後半まで。

親の世代と比べて顕著なのは日本は戦争をしなかったということだ。開国以来ずっと戦争ないし準戦争状態が続いていて、1945年に最悪の形で敗戦を迎えて(いやドイツよりはましだったか)、さすがにそれで自重するようになった。

ジョン・ダウアーが言うとおり「敗北を抱きしめて」戦争関係はアメリカに任せ、経済発展に邁進することにした。

それがうまく結実したのが高度経済成長だったのだろう。魚が水を意識しないようにぼくはその恩恵に気づかなかったが、大学を中退して就職することもなく翻訳などで食べられたのは社会に富が行き渡っていたからだ。

ぼくが知らない間にバブルが始まって、その終わりが1991年。その後、この国は静かに着実に凋落の道を辿って今に至っている。

あの頃からよくない徴候はあちこちにあった。どうしてもそちらに目が行く。

「芸術時評」の方針を受け継いで明るくない未来を考える姿勢は1993年の『楽しい終末』という本になった。一つまた一つとぼくは人類繁栄の可能性を封じていった。その結果、しばらく小説が書けなくなった。何を書いても嘘っぽくなる。

現状を未来へと外挿する試みは二度に亘って悲惨な現実になってしまった。

1 イラク戦争の前夜にあの国に行ったぼくは「大量破壊兵器などないだろう、イラク国民はアメリカ軍を歓迎しないだろう、イラク社会は崩壊するだろう」と考えた。
2 原子力は人間の手には負えない、と『楽しい終末』で書いた。いずれ大事故がどこかで起こる。しかしまさかそれが日本で起こるとまでは予想できなかった。

福島第一原子力発電所の後始末の失敗が今の惨憺たる政治状況に繋がったのだろう。この国に政治家はいない。いるのは無知で無恥で粗暴な政治屋ばかり。魚と政治は頭から腐ると言うが、今はもう腐敗を超えて腐爛に達している。

これ以上は言うことがない。


池澤夏樹(Natsuki Ikezawa)
1945年生まれ。1987年に『スティル・ライフ』(中央公論新社)で芥川賞を受賞。評論に『楽しい終末』(中央公論新社)、『終わりと始まり』(朝日新聞出版)、『科学する心』(集英社インターナショナル)など。近著に『ヤギと少年、洞窟の中へ』(共著、スイッチ・パブリッシング)がある。『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』(ともに河出書房新社)などの編集に携わる。


asteion_20240520113411.png


 『アステイオン』100号
  特集:「言論のアリーナ」としての試み──創刊100号を迎えて
  公益財団法人サントリー文化財団
  アステイオン編集委員会 編
  CCCメディアハウス


(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

PAGE TOP