「にぎやかな廃墟」では東京の未来像を考えた。
同じ時期にぼくは東京の各地を舞台にした短篇連作を雑誌に連載中だった。この各地は檜原村から伊豆大島までを含み、毎回自分で撮った写真を添えた。発表媒体は月刊誌「東京人」で、後に『バビロンに行きて歌え』というタイトルで本にした。
その一方で日野啓三と戸田ツトムに傾倒していた。この2人に出会っていなければぼくは『スティル・ライフ』を書いていない。
2人の都市論に共通するのは都市は人工物である以上に自然の作用の成果でもあるという主張だった。だから日野は『夢の島』でゴミ専用の埋め立て地に集められる光景を美しいと書いた─
戸田ツトムには『庭園都市』という写真集があった。A4判318枚の写真に対して文章は「本稿は東京都内、商業・住宅地域を環状に渉猟し、建造物の表面を撮影したものである」と言うのみ。
1メートルくらいの近距離から撮った建物のディテイルは構造を失って表面にだけに還元され、更に時間の作用によって風化してあるところまで自然に返っている。
あるいは宮本隆司の『建築の黙示録』という写真集。大きな建物が解体される過程を、ベルリンの大劇場、中野刑務所、霊南坂教会、有楽座などで撮っている。建築家と職人の手で緻密に造られたものが瓦礫に変わってゆく。
みんなピカピカの嘘っぽい都市像に飽きて廃墟を求めていたのかもしれない。それが例えば映画『ブレードランナー』のスモッグの立ち込める猥雑なロサンジェルスだったり、大友克洋の劇画『AKIRA』だったり。
東京都の新庁舎が完成するのは1991年だが、建築における自然への回帰や廃墟趣味はいわば丹下健三に逆らうものだった。
『アステイオン』の98号にある藤森照信の文によれば丹下は四季の変化を嫌い、生活にも興味はなく(住宅を造らない)、「関心の全てを時代と国の表現に傾けた」のだそうだ。
vol.101
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